その雨が地を固めるきっかけとなれば 乾ききった地面と見るからに力を無くしたて弱々しくなっている畑の作物を見渡して小十郎はとても重たい息を 吐いた。 ここ数日、いやもう半月ほどこの奥州には雨が降っていない。それに加えの晴天続きで畑は完全に乾ききって しまい地面にはひび割れさえ見てとれる。 このまま雨が降らなければ飢饉の恐れすら出てくると、小十郎の主である政宗も先日何か打開策はないかと小十 郎を始めとする家臣を集め話し合いを行ったばかりだ。このままでは小十郎の畑だけでなく奥州全体の田畑が駄 目になってしまう。それでは農民は飢えてしまうし、農民だけでなく元気さとやかましさだけが取り得のような 伊達軍の兵士とて、もしどこぞの国と戦が始めってしまっても充分に戦う事が出来なくなってしまう。 それでもし万が一にでも伊達軍が戦に負けてしまえば奥州に住む全民の飢えだけで済まされる問題ではなくなっ てしまう。 話し合いを終えた後に政宗は最後まで傍についていた小十郎に、いくら己が龍だとて雨は自在に降らせる事は出 来ない。と悔しげに下唇を噛み締めてみせた。 その時の政宗の悔しそうな表情を思い浮かべ、どんなに強くなろうとも所詮は小十郎も政宗も人間なのだと小十 郎もまた悔しくなる。天下統一をなすために人の上に立ち導く事は出来るが自然には少しも敵わない。 人間とはなんと無力なのだろうか。 当初はこの奥州の状況に漬け込んで他国が戦を仕掛けてくるのではと危惧もされていたがこの雨不足は全国的な もののようで他国に潜らせてある草の者からの報せで何処も奥州と変らぬほどに大変で今は戦どころではないよ うであった。今となってはそれが奥州の唯一の救いである。いや奥州だけでなく他国もきっと同じように思って いるに違いない。 明日にでも近場の村だけでも足を運び民と田畑の状況を把握しなければならないだろう。 小十郎は乾ききってひび割れた地面と可哀想なほどに元気を無くしてしまった大切な作物を見ながらそのような 事をつらつらと考えた。 すると不意に感じる筈の無いような所から視線を感じた。 視線は明らかに頭上から注がれている物で通常ならはその様な所からの視線など近場に建造物か何か無ければ不 可能である。しかしここは小十郎の所有する畑でありまわりに辺りを見下ろせるような物など有りはしない。 となればこのような芸当が出来る人間で、しかもこの場所に現れそうな人物を小十郎は一人しか思いつかない。 「そこで何してんだ」 武田の忍。と小十郎は視線を感じる方へ顔を上げながら確信しきったような声で呼びかけた。 「おや、ばれちまったかい」 「はっ。そんな気もねぇくせに何言ってやがる」 小十郎が顔を上げた先にある木の枝の上には一人の男がいた。男は大の大人の体重など到底支える事が出来ない ような細い枝の上に片足で立っており小十郎を見ながらわざとらしく笑っている。 その様を見た小十郎はその気があるなら気配くらい消せ阿呆と毒付きながら降りて来い、と軽く顎で示す。する と武田の忍と呼ばれる男はふわりと枝も枝の先につく葉も揺らす事無く飛び上がると小十郎の目の前に静かに着 地をした。 「俺は武田の忍じゃあないよ。真田の忍ね」 そこんとこ間違えないでね右目の旦那。と真田の忍と名乗る男はヘラリと緩く笑んでみせる。男の名は真田忍隊 長の猿飛佐助といい互いの主が好敵手同士という因果から気付けば名前と顔を覚えてしまう程度の知り合いとな っていた。しかし逆を言えばその程度の認識で小十郎が己に向けられる視線の主をこの佐助だとわかったのも他 にその様な事をしそうな人間が小十郎の記憶の範囲内では該当する人間がいなかったからだ。 「こんな所で何してんだ」 別に武田と同盟なんぞ組んだ覚えはないが。小十郎は暗に敵地で何をしていると微かに殺気を込め探る様に言う と佐助はそれに何の返事も返さず、最近雨がさっぱりだねぇ。と先ほどと同じようにヘラリとしながら小十郎の 畑を見渡した。 「やっぱり奥州でも雨降ってないんだね。カラッカラになっちゃて」 何日位降ってないの。とさも興味深そうに佐助は乾いてしまい元気を無くした畑の作物を見ながらこれは酷い。 と苦笑する。甲斐もね全域的に日照り続きで大変なんだよ。不審気にしている小十郎の方へ顔を向ける。 「・・・それを知ってどうする気だ」 「相変わらず旦那は疑り深いねぇ。でも教えてくれたらいい事教えてあげるよ」 「・・・・・・」 小十郎は切れ長の目を細め信用などできるかと己よりも幾分か低い所になる佐助の顔色を伺った。 忍は嘘が上手い。口先だけの言葉を信用してはいけないそれにする気もない。小十郎は元々忍があまり好きでは ない。好きではないというよりは苦手なのだ。草の者の存在を否定するわけではないがどうにも己とは思想が違 いすぎる様に思う。 「そう疑りなさんなって。じゃあ最初にいい事教えたげるからそれでいい?」 「そうじゃねぇ。知りてぇ理由を先に聞かせな」 何の意図をもって奥州にどれほど雨が降っていないか知りたいのかを教えろと小十郎は腕を組み己が手塩にかけ て育てている畑を見ながら辛そうに眉間に皺を寄せる。 その表情を見た佐助は、おや。と少しだけ微かに目に驚きの色を浮かべると直ぐに眉を下げやんわりとした笑み を浮かべた。 「おたくらも似たようなことしてると思うけど他国の干ばつの進行具合の調査だよ」 「・・・ほう。それなら何処ぞの農民にでも化けて尋ねれば早いんじゃねぇか。忍」 「いやいや。ここはさ日本一の野菜作りの名人に直接聞かなくちゃって、ね?」 ね。と念を押すように言う佐助に小十郎はピクリと眉を片方だけ動かした。 別に名人と呼ばれることに何も感じはしないがそうだからといって本人に直接聞きに来る佐助を小十郎は信じら れなかった。その疑心が佐助に伝わったのか小さく困ったような顔をしる。 「本当はね風と雲の動きを見に北に上がってきてたんだよ。 甲斐もそろそろ雨不足が深刻になりそうだからね。大将に頼まれて天気読みにきてたんだ」 「・・・お前、天気が読めるのか」 「そりゃぁね。忍は空を移動する事もあるからね」 だからその参考までにいつから雨がきてないか教えてくれる?と首を傾げる佐助を小十郎は珍しく興味深そうに 見詰めた。 「・・・大体半月ほど降っていない」 「そっか。じゃあ甲斐の方が期間的には短いな」 「・・・・・・」 小十郎の言葉に頷きながら何かを考えるように腕を組んだ佐助に小十郎は近々雨がくるのかを確認したくて仕方 が無くなった。しかしそれを簡単に聞いたところでそう容易く教えてはくれまい。小十郎とて簡単に夕立がくる 位の事くらいの天気ならば読めるが雲と風の動きを図った天気を予報する事までは出来ない。 奥州の田畑はそろそろ限界を迎えるだろう。田畑だけでなく農民の生活にまで支障だ出てしまう。できることな らば雨を降らす事は出来ずともいつ雨がくるのか位は今すぐにでも知りたい。 教えてはくれぬ事を承知の上で尋ねてみるかと思う。この忍の事だもしかしたら案外簡単に教えてくれるやも知 れぬ、と小十郎は考えるがそうやすやすと敵に尋ねていい物だろうかと思わないでもない。 今最も知りたい情報をもしかしら目の前の男が持っているかも知れぬのに。 小十郎は凄まじい歯がゆさを感じながら乾いた地面を睨みつける。 すると、聞いてる?とすっかり視線を地面に下げてしまっている小十郎に向って佐助は覗き込むようにしながら ひらひらと片手を小十郎の顔の前で降りながら寝てるのかい?と少しからかい混じりに言う。 「今あんた人の話全然聞いてなかっただろ」 「あぁすまない」 「だからぁ!奥州はもう三、四日ほど堪えりゃ雨が降るよ。って言ってんでしょうが」 はぁ折角人が教えてんのに聞く耳くらい持ちましょうぜ。と肩を竦める佐助に小十郎は一瞬男が何を言ったのか 理解出来なかった。今しがた己が欲しくて欲しくて仕方がなく思っていた情報をこうも容易く教えてくる忍の事 を小十郎はよく解らない。 「・・・本当か」 「嘘ついてどうすんのさ」 「・・・そう、だが。そう容易く教えていい事じゃぁねぇだろう」 「別に。嘘ついたり教えなくたって数日立てば雨は降るんだし一緒だろ」 それに、と佐助はそう付け加えながら小十郎の畑を見渡した。 「ここの畑は一段と乾いてるね。水を余所に回してんだろ」 「・・・こいつらには申し訳ないが物には優先順位がある」 畑に回す水を他の田畑に回したり馬の方に回したりして水を最低限に制限した。と小十郎は苦い顔をする。 佐助は小十郎が畑の世話をしている所をそう何度も見たことがあるわけではないがいつ見ても雑草一本生えてい なければ野菜がきちんと育つように余分な芽もきちんと間引いてある。それを見ただけでいかに小十郎がこの畑 に愛情を注いでいるかは一目瞭然である。それを干ばつを少しでも防ぐために真っ先に己の畑を犠牲にすること 決めた時はさぞや辛かったであろう。 「・・・・・・三、四日までもつかな」 「さぁな。だがちぃっと危ねぇだろうな」 まぁでも被害がここだけで済むのなら安いもんだ。小十郎は微かに笑うといつの間に組んでいた腕を解たのか一 方の腕を伸ばすとぽんと佐助の橙の頭の上に手を乗せた。 「お前さんがそんな顔してどうする」 「つらいだろうなぁって」 「別にこの畑は他の農民のように生きるために作ってるものじゃぁねぇ」 なんとも不に落ちないような苦い顔をしている佐助に小十郎はチラリと困ったような顔をしながらお前さんが気 にする事じゃねぇよ。と念を押すように言う。それでもやはり己が大切に世話をした畑が朽ちていくのは辛いの だろう。困ったようにしながらも浮かべようとする笑みは出来そこないのように歪んでいる。 その顔を見た佐助はまるで小十郎が自らに言い聞かせるように、仕方ない事だ。と佐助に言う物だから余計に苦 々しい表情を浮かべる。 本来なら今回奥州に訪れた目的は本当に天気を読みに北に上がってきただけだったのだ。 それを気が向いたついでに奥州の田畑や河川の様子を伺い、さらにそのおまけでこの小十郎の畑を覗いただけだ った。それが他の農民の田畑に比べ群を抜いて駄目になろうとしている畑とそこで辛そうな顔をしている小十郎 を見つけた佐助は一瞬にして小十郎がどのような決断をしたのか大まかに理解した。 そして何故かそれを無性に気の毒に感じてしまい雨が来る事など余計な事まで教えてしまった。 本当ならこんな事を他国の人間でしかも家老になど教えていい筈が無い。佐助はつくづく自分の甘さにこっそり と溜息を吐く。そしてそのままこれまでの渋い表情を一変させ小十郎の方を見やる。 「俺様、今から任務外行動とかしちゃうんですけどいいですかね」 「はぁ?」 何の脈絡もなくおかしな事を言う佐助に小十郎は意味がわからないと思わず間抜けな声を上げる。いいですかね と佐助は再度問うと、良いも何もそんな事俺に聞かれても困るだろうが。と佐助の言う『任務外行動』が何かも わからぬままにとりあえず当り障りの無い答えを小十郎は返した。するとならば旦那には内緒にしといてね。と 悪戯でもするように佐助は片目を閉じわざとらしく口の前で人差し指を立ててみせる。 「ちょっとだけ畑借りますぜ」 そう言い放つ佐助に何をする気だと畑に入ろうとする佐助の肩をぐいと掴み慌てて制止させる。 「別に荒らしたりするわけじゃないからさ。ちょいと見ててごらんよ」 佐助は己の肩を掴んでいる小十郎の手をさり気なく外すとそのまま畑の周りをくるりと一周する。その間に地面 を真剣に見詰め時折立ち止まっては身を伏せては地面に耳を着け何かを窺っている。 そんな奇妙ともとれる行動をしている佐助を小十郎は不審気に見ながらも特には何も悪さをしようとはしていな い様であるために様子を見ているのみで佐助を止めようとはしなかった。 「んーこんなもんでしょ」 「・・・何をする気だ」 「まぁまぁ見てなさいって」 佐助は畑を一周し終わるとそのまま先ほど見を屈めて所にまで戻り懐から苦無を一本取り出すと地面にさくりと 突き刺した。そのまま佐助は小十郎に向って畑の中央にも苦無を刺しても良いかと問う。 その佐助の行動も言葉も何一つとして意味が解らないでいた小十郎は訝しげにしながらも中央には何も植わって いなかったため佐助の申し出に良しと答えた。 「これでよしっと」 畑の中央と端に一本ずつ苦無を刺した佐助はそのまま小十郎の隣へと戻って来る。 「何をする気だ」 「ん?ちょいとだけ悪い事、かな」 へへと悪戯っぽく笑う佐助は両手を組み小十郎にはよく解らなかったが何か印組むと意識を集中させるように先 ほどから終始浮かべていた笑顔を退き真剣な面持ちで目を閉じる。 佐助が目を閉じた途端に辺りの空気が微かにだが張り詰めたのが解った小十郎は何があるのかと一瞬で身構え佐 助を見やった。佐助は何か口の中でぶつぶつと唱えながら普段戦の時以外に見る佐助からは全く想像がつかない ほどの真剣な顔をしている。 その表情に多少なりとも驚いた小十郎は余計にただ事ではないと感じられ思わず顔を強張らせる。 その瞬間、佐助がより一層神経を研ぎ澄まさせ気合ではないがそういった物の力をまるで一箇所にでも凝縮させ るような高圧な気を放つ。 「はっ」 そして一言気合を放つ掛け声と共に辺りの空気が一瞬だけぴんと張り詰め次の瞬間にはこれまでと同じ空気に戻 る。 何事だと思う小十郎を余所に印を解き先ほどまでの表情とは一変させいつものようにヘラリと笑みを浮かべる。 「上手くいったよ。さっすが俺様天才!」 あっは!と笑いながら小十郎にあの苦無の方を見てて。と怪しげに佐助を見ていた小十郎に佐助は苦無の方を指 さした。するとどうだろう。これまで何事も無かったように地面に垂直に刺さっていた苦無がふるりふるりと震 えだす。それは中央にあるものも端になるものも同じようで二つの苦無がまるで共鳴するように揺れている。 そして次の瞬間小十郎は驚きで目を見開いた。 苦無の刺さった所がまるで間欠泉にでもなったかのように水柱が立った。 畑の端と中央の二箇所から同時に水柱が高くまで上がりそしてその水は拡散して雨のように畑へと降り注いだ。 その様があまりに非現実的な光景で小十郎は目を見開き絶句したまま畑にだけまるで雨が降っていうかのような 状況を食い入るように見た。 「流石に雨が不足してるだけあって水の量は少ないけど、このくらいで丁度いいみたいだね」 吹き上がる水が重力に負け辺りの地面に降り注ぐ。乾ききり白っぽくなった地面がが見るみる内に元の濃い色を 取り戻し降ってくる水分を我先にとでも言うように素早く吸収していく。そしてまるで元気が湧いてきたとでも 主張するかのような咽かえるような土の匂いが辺りを満たした。 先ほどから言葉を無くして食い入るように己の畑を見ている小十郎に佐助は苦笑を浮かべながら、井戸より深い とこから少しだけ水を上げたんだよ。と状況が飲み込めていないであろう小十郎に簡単に説明をする。 「・・・・・・これは忍の術か何かなのか」 「まぁね。忍のっていうより俺様の?かな」 勢い良く吹き上げていた水もやはり水不足の影響なのだろうある程度吹き上げていると段々とその勢いは弱まっ てゆき暫くするとそのまま水は出なくなってしまった。 何事も無かったように静かになった畑はまるでその場所にだけ本物の雨でも降ったかのようになっている。土に は瑞々しさがあり畑の作物も心なしか元気を取り戻したかの様な印象を受ける。 佐助は地面に刺さった苦無二本を回収するとカラリと笑いながら、これでもう三、四日は保つんじゃない。と言 った。 「どうしてだ」 何故こんな事をした。と小十郎は訝しげにそして戸惑うようにしながらようやっと畑から視線を外し佐助の方を 向いた。眉間には相変わらず皺が寄っている。でもそれは怒りではなく困惑による皺で佐助はこの男もこんな顔 をするのだな、と笑ってしまいそうになったが元より浮かべていたのが笑みだったためさして顔に変化があった 訳でもなく小十郎に不審に思われることは無かった。 「どうして、ね。・・・さぁねぇ」 「恩を売ってんのか」 「いやそういんじゃないよ。・・・そうだね。強いて言うなら」 「野菜が美味しそうだったから。かな」 もしくはその野菜を真剣にそして主に向ける眼差しとは別の意味で愛しそうに見つめるその様が、とても とても綺麗なものに見えたから。 たった四日足らずのことでこの折角の畑とそして男のあの表情を枯らして駄目にしてしまうくらいならば、この くらいの事をしても撥は当らない気がしたのだ。 野菜が美味しそうだといいそして勿体無いと付け加えた佐助に小十郎は少し驚いたような表情を浮かべたが直ぐ にいつもの顰め面に戻ってしまう。その様に佐助は小さく苦笑を浮かべるがまぁいいや。と手を頭の上で組む。 やれやれ、これはとっておきの術だったのにな。と雨雲なんて少しも無い真っ青な空を佐助は仰ぐ。 「真田の旦那の前でして驚かそうと思ってたのに」 「・・・水芸か」 「違うよ。気合で発火するお二方を鎮火させる為ですぜ」 佐助の術と呼ばれる先ほどの水柱の本当の使用目的を聞いた小十郎はそのあまりな理由に思わずくつりと笑って しまう。そして無意識に先ほどから感じていた悔しさのような物がすぅ、と消えていくのが己で解った。 あんなに雨を、水を欲していて己の主ですらどうすることも出来ないと歯噛みしていた事を目の前の男はあっさ りとしてのけてしまった。武士と忍が違うのは理解している。そして忍を羨んだりなどしようとも思わない。 かと言って己の畑を守りたくともそれを出来ない現実と雨という人ではどうにも出来ない存在をいとも簡単に操 作してみせる男に小十郎は嫉妬した。 嫉妬という言い方が間違いなのはわかっている。だがそれ以外に上手い例えが見当たらない。 挙句に水を撒いた理由が畑の野菜が美味しそうだったから。そんな気休めのような理由で納得など出来る筈がな い。小十郎は消えてゆく悔しさの代わりになんとも言えない不思議な感情が湧いてきた。 「さぁて。そろそろお暇しましょうかね」 「・・・・・・こんど」 「はい?」 「今度こいつらが収穫時期になったらまた偵察にでもこい。好きなもの分けてやる」 「え。いいよ別に」 「それじゃ俺の気がすまない。あと借りっぱなしも嫌いでね」 「・・・別にそんなつもりじゃないんだけどね」 困った様にする佐助に無理やり約束をさせた小十郎は苛立たしげにしながら首の後ろに手を当てる。 腹のあたりがモヤモヤしてならない。無意識に舌打ちをした小十郎に佐助は肩を竦めながら、それじゃあ俺様は これで。空へと飛び上がる。 「じゃあ今度立派な芋でも貰いにいきますよ」 飛び上がり空中でいつも連れている大きな黒い鳥に手を掴ませた佐助は小十郎にそう言った。 飛び立って行った佐助の姿を目で追った小十郎は鳥と佐助が小さくなってゆくとそれを畑へ向けた。 畑はいつも水を撒いた後のような姿をしている。土を常よりも黒く濡らし咽返るような匂いを放ちながら生を主 張している。小十郎は佐助の姿がなくなった今になって漸く表情を緩めた。理由や経緯はどうであれ最早この畑 の事を諦めようとしていた小十郎にとっては思いもよらない出来事であった為、不覚にも冷静に現実を受け入れ る事が出来なかったのだ。 待ちに待った水を与えられ畑の作物はその緑の色を濃くしたように元気に見える。 良かった。と小十郎はここで初めてそう思うことが出来た。 そしてふとこの結果をもたらした男に礼はするとは言ったがきちんと感謝の言葉を口にしていない事に気付いた。 佐助がいる時は驚きが何より勝っていた。というのもあるが何かよくわからない感情が腹に巣くってそれどころ ではなかった。悔しいやら妬ましいやら気に入らないやら嬉しいやら、といろいろな感情が混ぜこぜになり胸を 掻き毟りたい衝動に駆られるようで素直な言葉を吐くことは到底出来なかった。 もう一度畑を見渡し小十郎は小さく息を吐く。 礼に返すものを芋だけでは足りないだろうな。小十郎は眉間の皺を少しだけ伸ばしながら表情を緩める。 佐助のしたことによってもう三、四日ならば何とか畑は保つであろう。そしてその日がくれば奥州には雨が来て 一応の雨不足は補えるだろう。良かった。小十郎は再度思い次に雨が来る事を政宗言うべきかをちらりと考えた。 報告をしたほうがいいのは努々承知である。しかしその情報は何処で手に入れた。と聞かれたら返答に困ってし まう。今日は何処かに遠駆けに出るとは言ってはいない。しかも畑にいるとご丁寧に己は政宗に言ってしまって いる。畑にいてどうして数日後の天気が知れようか。 もう一度小十郎は息を吐き出した。これは困ったという息だ。 雨が降ると言いたいがまさかそれを他国の忍に教えてもらったなどとはあまり言いたくない。 報告しても問題はないと思うが何となく佐助に知らされた事とそしてこの畑の現状を誰かに教えるのが少しだけ 癪に感じてしまったのだ。 癪に? 小十郎ははて、とたった今己の思ったことに疑問を感じた。何故佐助に言われた事を他の人間に告げるのを癪に 思う必要があるのだろうか。 暫く考えてもみたが少しも答えが見えてくる気配がない事を悟ると小十郎は早々に思考を切り上げた。 まだ腹の奥に燻る何かがあるような気はするがやはり雨が来る事を主に報告しまた雨が降り始めた時の事を考え ねばならない。そうなるときちんと告げる必要がある。 その情報をどうした。と聞かれたら鴉にでも教えてもらった。とでも言ってみようか。 鴉ならばあながち間違いでもあるまいと佐助が立ち去る時に頭上を旋回していた大きな黒い鳥の事を思い浮かべ る。そうしよう。到底誤魔化せる内容でもないが主の事だ小十郎がはぐらかそうとしているのを汲み取ってくれ るに違いない。 そして早く今後の対策を皆と決め次に佐助が偵察にきた時にきちんと礼が出来るように畑の世話をせねばなるま い。希望の芋と他に何を持たせようか。今畑に植えている物を思い浮べながら小十郎は少しだけ楽しそうな顔を する。 一通り畑の世話をしそこから立ち去る時の小十郎の後姿はここ数日の中で一番足取りの軽い物だった。 おわり 佐助ならなんでも出来ると信じて疑わないhaloです。 佐助→小十郎のつもりで書きはじめたのに佐助→←小十郎みたいになった。 でもうちでは珍しく「振り回されない佐助」になりました。 2008.04.16 ブラウザバックでお戻りください