或る人曰く、恋とは自己と対象の差異を観察することである。
更に或る人曰く、愛とは自己を対象に合わせて変化させることである。
即ち或る人曰く、恋愛とは不完全に結合したパズルのようなものである。


 ≪ 未完エニグミスタ ≫


猿飛佐助は、ここ最近の心労をたっぷりとねり込んだ溜め息をついた。

猿飛佐助。模範的とは言わないまでも一般的な男子高校生。
突然だが、佐助には現在所謂おつきあいしている人物がいる。
それまで比較的平凡な高校生生活を楽しんでいた佐助としては、ここは可愛らしい女の子の顔でも思い浮かべた
いところである。が、佐助の脳内辞書で恋人を引くと、検索結果は強面で、ガタイ良くて、顔に傷があって、強
面で、声が低くて、強面な男性教諭と出てきてしまう。さらに項目によると交際契機は実に曖昧で、体育館裏も
下駄箱の手紙も何もあったもんじゃなかったが(いや、あったらあったで大層怖い)、深く考えようとすると、
元来軽くできている佐助の思考弁が、まぁいっか、という結論をさっさとはじき出すので、恋人欄には今でもし
っかりと片倉小十郎の名が刻まれている。
かくして佐助の比較的平凡な高校生生活は終わりを告げ、少々非凡な、かと言って不幸とまでいえるレベルでは
ない妙な毎日が今日まで続いていたのだが。

「かたくらさんがおかしいです」

佐助は少々真剣な顔を作って目の前の青年に訴えた。
やる気のない胡坐をかいて、やる気のない返事をした友人、政宗を手元にあった雑誌ではたきながら側頭部を押
さえる。平凡でない日常生活は、元平凡な男子高校生の脳味噌の許容範囲を僅かならず超えるらしく、最近頭痛
が酷い。

『恋人、片倉小十郎の様子が最近妙である』

悩み事としてはかなりチープな部類に入るのだろう。しかしこの頭の痛みはその安直さに比例しない。原因は勿
論その佐助の恋人と同意の固有名詞の持ち主にある。
片倉小十郎は元々難儀な男である。
もっとも、通常の付き合いならばなんの問題もない。仕事熱心で少々お堅いところもあるが、一般的水準からい
けば『少々とっつきにくい印象を抱くが善い人』程度の評価だろう。実際教師や生徒受けも悪くないという。
しかし佐助は曲がりなりにも恋人である。佐助の家に毎日やってくるどころか定住する勢いの片倉と、より親密
に接しなければならない。毎日。いや勿論恋人間の在り方なんて個々人の差によって千差万別なのだろう。よっ
てそれは意外とセオリーというものを重視してしまう佐助の、恋人という定義に関する単なる偏見ということは
充分に理解している。しかし意識してしまうものは仕方ない。そしてそう意識してみると途端に難しくなるのだ、
片倉という男は。佐助が思うに、片倉の脳内には片倉理論というものが確固たる常識として存在している。そし
てそれは人とは、少なくとも佐助とは三割五分程ずれている。まあそんなものは誰にでもあるから、口で言えば
小さな溝は埋まるものだ。しかし片倉はそれをしない。結果、言動に一貫性を見出せない。細切れな言葉が理解
できない。価値観が分からん。もう駄目だ。片倉星人の完成である。それと恋人レベルで付き合う?ムツゴロウ
さんでも完遂できるか怪しいミッションだ。いやムツゴロウさんが宇宙人を相手にするのかは知らないけれど。

「それでもね。俺様けっこう努力してきたんです」

いきなり授業の終わりにおはし渡されても、思いついたように感動モノ映画何本も借りてきてひたすら無表情に
見てるところに遭遇しても、動じないくらいにはなったんです。もの凄い進歩じゃないでしょうか。少し感情的
な部分が退化している気もするけれども。

しかし、最近の片倉には対処しきれない。

「対処仕切れない」
「そうです。俺様リアクションにこんな困り続ける日がくるとは思ってもみませんでした。
  正直疲れた。ゆっくり休ませて欲しい本気で」
「…そんなにかぁ?」
卓袱台に脱力していた上体をがばりと起こして、佐助は勢いよく口を開いた。
ああ藪蛇だったと、政宗は少し顔をひきつらせる。
「そんなにだよ!昨日片倉さんが家出てから凄い音がしたと思ったらあの人階段踏み外してこけてんだよ!?
  膝のとこでっかい青痣できてたし!ていうかいつもはエレベーター使うのに!それでいて顔はあのまんまなの!
  なんて言ってやればいいのさ!一昨日は学校で袋渡されて何かと思ってみればぜーんぶ俺の私物だったの!
  間違えて持ってっちゃったにしてももうちょっと少ないでしょうに。後は宿題回収すんのも忘れるし出すのも
  忘れるし試験一週間前宣告も忘れるし、ネクタイ胸ポケットに突っ込んだままだったり、買ってくるヘアアク
  セがうっかり装飾過多だったり、なんていうか、そう、隙だらけなの!ぼーっとしてるの!片倉さんが!」
だん!と勢いよく拳を卓袱台に叩きつける。何故か丁度当たり判定内に鎮座していた例の、ふりふりレースが付
着したリボンバレッタが悲鳴をあげて吹っ飛んだ。

ありえない!!と叫び終わるのを待って政宗は口を開く。

「OK。落ちつけ。なんだ、小十郎も人間だ、そんくらいのことはあるだろ」
あからさまな気休めだ。更に口を開きかけた佐助を手で制す。それにな。
そこで少しの間を置き、目を壁に這うようにさまよわせる。
「それに後…まぁ次の日曜には元に戻ってんだろ」
「…ほんと?」
視線を級友の顔に合わせる。根拠のない自信に満ちた顔だ。普段ならここは一笑に付して何を根拠にとスルーす
る場面である。しかし佐助の視界にいる政宗はでかでかと『片倉小十郎の同居者』と書かれた名札を付けている。
]脳内政宗情勢の支持率が一気に40%らい引き上がった。
「Sure。俺が言ってんだ、間違いねぇ」
「政宗っ!」

ありがとぉっ!
精神的に切羽詰まっていた佐助は、ドンウォーリー!といって親指を突き出す政宗に、持つべきものは友達だよ
ねとかなんとかと感動していて、なんだその少々具体的に指定された曜日設定はとつっこむ心のゆとりを持って
いなかった。



●
一つ。佐助の脳内辞書によると、片倉小十郎は所謂逢引き、デートをあまり推奨していない人間である。

「やる」
「……何コレ」
「見りゃ分かるだろう」

分かりますとも。分かるから訊いているんですよ。
佐助が放るようにして渡されたのは二枚のぴらぴらした紙切れで、よく耳にする遊園地の名前と最近聞いた恋愛
モノ映画の題名が印刷されていた。とりあえず軽い現実逃避に、視点をぼかしてカラフルな色彩をぼんやりさせ
てみたりツルツルした表面を撫でたり『大人』とか『\1300』とかの文字を眺めたりした。
しかし残念なことに、その二枚の紙はどこからどうみても正真正銘掛け値なしの、チケットだった。その上遊園
地の方はフリーパスだ。どんだけ遊ぶ気だ。

「え、これ」
「今度の日曜だ」
「え」

空けておけ。
それだけ言うと片倉は手にしていた新聞の活字を追い始めた。
遊園地。フリーパス。映画。明らかにもうワンセット中に入ってそうなチケットぴあの封筒。今度の日曜という
のは何か聞いたことがある。いやそれは置いておいて。
ここまできたら、もう間違いようがない。というか間違っていたらそれはそれで面白い。大爆笑だ。だから間違
っててもいいんですよ、と誰かに弁解したい。いやしよう。もうとにかくこの目の前の宇宙人に何か言ってみよ
う。ひょっとすると交信できるかもしれない。

「片倉さ」
「そうだ」

見事に交信を遮りながら、言い忘れていたと宇宙人は佐助に首を向けた。

「お前、種無しブドウをどう思う」

佐助は大きく息を吸って大きく溜め息をついて大きく脱力して大いに落ち込んだ。



●
一つ。佐助の脳内辞書によると、片倉小十郎は所謂盛り場、騒々しい場所に難を示す人間である。

「ちょっとちょっと片倉さん」
「どうした」
「何だってわざわざ混んでる日曜日に遊園地とか、その辺はもういいよ」
「そうか」
一瞬の静止。
「でもね」
と、体が前に下に引っ張られる。下腹部辺りがすうと浮く。肋骨が持ち上がって、一気に落ちる。風が顔を強く
叩く。髪が千切れそうに後ろへ引かれる。世界が上へ下へとぐるぐる回る。
悲鳴。悲鳴。絶叫。
「ちょっとホント勘弁してなんなのさなんなのさなんなのさああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

「…片倉さんてさ、実は元族?」
風感じてないと死んじゃうお方?
実際ありそうで怖いな。と、言ってから思う。
「寝言は寝て言え」
今朝の六時。この強面に電話とかインターホンとかじゃなくて直に叩き起こされた。鍵は前日に勝手に拝借した
もので開けたそうだ。軽く犯罪である。朝食をとる暇も与えられず、引きずってこられたのは例の遊園地で、そ
れ以来なんでか絶叫マシーンを中心にアトラクションに駆り立てられ続けている。先程のものは園内で一番強烈
なやつで、待ち時間もそこそこ立派であった。春とはいえまだ寒い中ずっと突っ立って、それで待っているもの
はあれだ。拷問か。
その上親子連れやらカップルやらが多い中で男二人旅。
心底疲れた。
「ていうか何で待ち時間長いのばっかなのさっきから」
「ああ、その方がいいらしい」
出た。片倉星人。
いい訳ねーだろ!
なんのために某ネズミ国でファストパスという制度が生まれたと思ってんだ!
溜め息をついてテーブルに突っ伏す。なんなんだ。というか本当に目の前にいるこの男は片倉小十郎なのか。ま
さか本当にいつの間にか宇宙人と中身が入れ替わったりしているのではないか。それとも前から薄々感じていた
通り、片倉は宇宙人なのか。ああだからジェットコースターの記念写真があれ程までに無表情だったのか。あれ
はすごいを通り越して怖かった。そーなんだきっとそうなんだおれさまは宇宙人と一緒にジェットコースターに
乗ったんだ世界人類初めての出来事だー……勘弁してほしい。
軽く落ち込みに入る。
と、頭に軽い重力がかかった。
眼球だけを動かして重力の主を見る。どうやら片倉の左手だ。相変わらず大きい。固い手が佐助の髪を軽く撫で
つけるように動く。
「酷ぇ頭だ」
暴風と寒気に晒された髪の毛が、じんわりと温まる。時たま髪に無骨な指が引っ掛かって、軽く頭が引っ張られ
るがあまり気にならない。重さも丁度良い。寝不足と疲れも相まって、まぶたが重くなる。
かみのいろとおんどがあってねえ、とか言う声がぼんやりと聞こえてくる。
相変わらず言ってることは分かんないけど、手はあったかい。
片倉さんはひょっとすると宇宙人かもしれない。
それでも最高にぬくい。
それだけで。
ま、
いいか。


ごん。

突然手に下へ圧力をかけられ、佐助は強かに頭を木製のテーブルにぶつけた。
「いったい!」
「何本気で寝てやがる。時間だ」
行くぞ。
行くってどこに、とか時間ってなんの、とかの質問は一切受け付けずに、片倉はもう歩きだしていた。
「なんなのさ」
頭をぶつけた拍子に飛んで行った眠気のお陰で、先刻までの思考回路が克明に頭に蘇ってしまった。
手が、あったたかった。
「なんなのさ」
口惜しさと気恥ずかしさを乗せて、もう一度呟いた。
眠気に勝てなかっただけ、眠気に勝てなかっただけ、眠気に勝てなかっただけ。は、三回呟いた。



●
一つ。佐助の脳内辞書によると、片倉小十郎は進んで他人の色恋沙汰に関与するような人間ではない。

『あなたのことは好き、でも、どうしてもあの人が好きなの』
ふってやんなよ可哀想に。
『いいよ。それでもいい、傍にいてほしいんだ』
じゃあ告らなきゃあいいのにさ。

遊園地に続いて連行されたのは、まあ前売り券渡された時点で予想はしていたが映画館だった。ポスターの中の
男女は切なげに眉をひそめていて、つられた訳ではないが思わず眉間に皺が寄った。まさかこれを見るというん
でしょうか、と訊ねる間もなく片倉はさっさとシートに座っている。ていうかどんな顔してこんなこてこての恋
愛モノ映画のチケット買ったんだあんた。仕方なく隣に身を沈めてからはや一時間程。
館内にはあちらこちらからすすり泣くような音が聞こえてくる。
気が知れん。まったくもって同調できる気がしない。正直いって大層どうでもいい。ぶっちゃけてしまえば至極
退屈だ。
スクリーンには抱き合う男女が大写しになっているが、微妙に隙間から見えるマスコットの不格好さが何故か目
について仕様がない。
佐助は大きな欠伸を必死になって噛み殺した。
ちらりと横に目をやると、大層好い姿勢で(それじゃ後ろの人が見にくいだろうに)身じろぎひとつせず、スク
リーンを凝視している片倉がいた。眉間にはいつものごとく微妙に皺が寄っていて、明らかに「つまんないから
出ない?」と言い出せるそれではない。
少々強いが、整った顔立ちが暗い館内に浮かび上がっている。

分からない。この男は何を思ってあのスクリーンを眺めているのか。さっぱり分からない。雰囲気づけになんと
なく買ったポップコーンを挟んだすぐ隣にあるはずの固い手が、何故だか遠く霞んで見える。
カップの紅白がスクリーンの青白い光を反射してチラチラと光った。
胸の内で、本日何度目かになる溜め息の中で一番の重量のものをはいて、スクリーンに目を戻す。
スクリーンではまだ主人公組が傍にいるだのいないだので押し問答を続けていた。白々しい台詞が佐助の頭上を
掠りもしないで通過していく。

そう言えば。
つまらない台詞をBGMにして、佐助は思考を斜め上に飛ばす。
そう言えばなんだって今日この日に佐助と片倉はデートまがいのことをしているのか。それも遊園地と映画館な
んていうベタ過ぎて逆に嘘臭いコースを。佐助の記憶によれば、明後日から過去最高の範囲の広さを誇る三学期
期末試験が幕を開けるはずだ。いくら最近隙だらけだからといって教師の片倉がそんなことを忘れているはずも
ない。試験前の日曜日。余程図太い神経でないやつは、少なくとも家の中に留まるくらいはする日だ。佐助だっ
て勉強のするしないはともかく一日中家にいる心づもりではあった。何故、今日なのか。

「……」
「……?」
話の内容がちっとも掴めないまま映画は終わり、忘れないうちにと前述のことを片倉に訊ねてみた佐助であった
が。
片倉は座席から立ち上がろうとする微妙な体勢のまま佐助の顔を凝視している。目を僅か細め、眉間には通例よ
り深く皺が刻まれている。気がする。大層強い顔つきだ。慣れたと言ってもやっぱり怖いものは怖い。
「…あの、片倉さん?」
恐る恐る声をかけると、一層目を細められた。一、二、三秒。
「……出るぞ」
「え、あ、うん」
背を向けて、またさっさと行ってしまう後姿を慌てて追いかける。
腕の振りがいつもより少し乱暴で、どうやら気分を害しているらしいことが分かった。
「(分かんないなぁ)」
片倉が気分を害した理由は到底分かりそうになかったから、片倉はあの映画にどのような感想を抱いたのだろう
かと考えてみた。
それもやっぱり分からなかった。



●
一つ。佐助の脳内辞書によると、片倉小十郎は嘘発見器を体内に仕込んでいる可能性が高く、よって虚偽や詐称
は生命の安全を考慮し、控えるべきである。

そこでは、空は圧し掛かってきそうな程近く感じられた。

映画館を出ると、五時を過ぎたところだった。そろそろ解散してもおかしくないだろうと思ったのも束の間、佐
助はやけに手際良くつかまったタクシーの後部座席に押し込まれた。まだどこか連れて行かれるらしい。助手席
に目をやっても片倉はやはり身動きひとつせず、当然目的地など教えてくれようはずもない。ラジオのニュース
が明日も晴れると宣言している。
ひたすらに坂を上って、降ろされたところは小さな丘のようなものの麓だった。急な傾斜に整備の届いていない
石段が設えてあり、その頂上には鳥居の頭が見える。どうやら神社らしい。そんなことを考えている内に、片倉
はとっとと階段を上っていた。慌てて後に続くが、これが結構辛い。ここの神様はバリアフリーの精神は毛頭な
いようだ。
上り切ったところに当然のようにある境内をまるきり無視して、片倉は左手側から奥の方へ進んでいく。息一つ
くらい切らせっていうんだ。三回ほど息を切らしてから後を追いかける。境内の両側は小さな林の様になってい
て、それを奥に進んでいく。見た目よりかなり広い丘だ。

「猿飛」

驚いた。
もっと先にいると思っていた片倉が目の前にいたことよりも、いつの間にか林が途切れていたことよりも、もう
数歩で実は崖の様になっていた丘の端から落ちていたことよりも、片倉が自分の名を呼んだことに驚いた。なん
だか随分と久しぶりな気がするのは気のせいだろうか。どことなく据わりが悪い。
靴に付いた泥を落とすふりをして、爪先に数秒目を落としてから顔を上げる。
再び、驚いた。

「…よくこんなとこ知ってるね」

そこは、小さな街が一望できた。
遮蔽物のないせいで空がとても広く見える。こめかみが両側から引かれるようだ。
陽が西の方に落ちかかった空と、霞みがかって見える小さな街はそれぞれ赤いペンキをぶちまけたかの様な色を
している。
空の更に上方からは藍色をした夜が迫ってきていて、赤に滲み溶け合って、不安定な紫色を生みだしている。
幽かに見える白い星を二つ目で追ったところで、佐助は呼吸を忘れていることに気付いて慌てて息を吸った。

「…どうしちゃったのさ片倉さん」

息が喉に絡んで、自分でも驚く程情けない声が出た。

「何がだ」
「たくさん有り過ぎて挙げてらんないよ」
「そうか?」

そうです。深く頷いて、それでも足りない気がしたからもう二回頷く。
とりあえず。

「本日の一連の行動について釈明はありませんか片倉被告人」
「ねぇな」
「流すのが早い!」

そんなんじゃ有罪判決一直線じゃん!罰金だよ禁錮だよ俺様置いて行く気!
勿論最後の辺りは息を吸って誤魔化す。いかんいかん、ノリでなんか言いそうになった。
ついでに深呼吸をして片倉と向き合う。まあもとより片倉はさっきから佐助の方を向いていたから、向き直った
のは佐助だけなのだが。お互い半身がべったりと赤いなかで、しっかりと視線を合わせる。と、そらしそうにな
る。片倉の目は小さいくせに目力が異様に強い。にらめっこなんてしたら十割の確率で負ける自信がある。しな
いけど。ぎりぎりと気合でそらしそうになる視線を合わせる。首が痛い。

「そうじゃなくて」
「本気で忘れてんのか」
「え」

相変わらず眉間に皺は寄っている。しかし眉の左右が微妙にずれている。これはあれだ、呆れている時の顔だ。
忘れている?何を?
佐助は脳内の『忘れているっぽいもの』インデックスを引っ張り出した。しかしそんなもので思い出せれば提出
物忘れて平常点減点されたりはしない。何か書いてあるらしい薄っぺらい紙の束が頭の中でパラパラと無駄にめ
くれた。
思い出せないと大きく書かれた顔の佐助に片倉が一つ溜め息をついた。
この男にその行動をする権利はあるのか。
藍色が段々と勢力地を広げていく。片倉の左半身ももうそこまで赤くはない。冷たくなってきた風がするりと抜
ける。視界の端で星が光っている。遠くから鴉の鳴く声が聞こえてくる。片倉は動かない。紫が混じった茶色い
目が佐助の目を凝視している。顔の傷に影が落ちる。



「今日は、猿飛、お前の誕生日だろう」




小さく息を飲んだ。
丁寧なまでに低い声で、さも当たり前のように吐かれた科白に頭を揺さぶられる。
きっと目は限界ギリギリまで開いている。狭い指先の中を血が走る。
すとんと耳の底に落とされた言葉を反芻してみる。
頭をゆっくりとかきまぜる。
息を整えて、吐く。


「え、違いますけど」


何かが固まる音がした。



●

「どうしちゃったのさ片倉さん」
「…うるせぇ」

あの後たっぷり五分は固まっていたと思う。
我に返り、まだ固まっていた片倉をなんとか再起動させて、丘を下りた時にはもう空はすっかり夜だった。
このまま解散するのは非常に後味が悪いので、とりあえず目についたファミレスに入り、当たり障りのないメニ
ューを注文した。やれやれ。

「…いつだ」
「え?」
「お前の誕生日だ」
「あぁ、とりあえず春ではなかった気がするんだけどね」

片倉の口から再び溜め息らしいものが漏れる。
片倉さんとためいきは似合わないとぼんやり思う。
そういえばそうだった。何故片倉は佐助の誕生日をピンポイントに今日と誤解したのか。
正面の男の顔色を窺う。片倉は眉間に皺を寄せてコーヒーを啜っている。が、なんとなく落胆というか落ち込ん
でいるというか、そういうローなネガティブ感情が窺える気がする。佐助の片倉観察眼も成長したものだ。
あ。

「ひょっとして、政宗に騙された?」
「……」

深い溜め息で返答される。無言は肯定。
そう言われれば先日の政宗の態度は少々不自然だった気もする。
つまり今日の片倉の妙な言動は全て政宗によってもたらされたものということだ。絶叫に乗りまくったのもこて
こて恋愛映画見たのも、全部政宗の入れ知恵だろう。あの野郎後で覚えていやがれ。
振り回されっ放しだった佐助は、片倉被告人の犯行動機をそうまとめて、ひとまず安堵の息を吐いた。

 ああよかった、もうそんなとおくのひとじゃあない。

あれ。
またなんか迂闊な思考回路が展開された気がする。
違うよ違いますこれは違うからね!片倉さんの思考回路がこれっぽっちも読めなくて密かに落ち込むなんて乙女
なことはしていません!ファストパスも恋愛映画も種無しブドウも、ああもう関係ないったら!
誰にか分からない言い訳がましい否定を胸中で連呼して、髪の毛をわしゃわしゃとかき回す。少し視線を上げて
盗み見た目の前の男は、佐助を誕生日祝いのデート(もう認めましょう)に連れ回したは良いが最後の最後で政
宗に騙されたことに気付き小さく落ち込んでいる片倉小十郎だった。

「(きっと映画は面白くなかったに違いない)」

もう一つ余計なことを考える。ここ最近の対処仕切れない片倉小十郎。あれは、気にかけてくれていたのだろう
か。この年下同性の恋人の誕生日祝いを。この日のことを考えて階段から落ちて痣こさえたり、色々と抜けたこ
とをして初めて他の先生にやんわり注意されたりしていたんだろうか。
あの片倉が。この片倉小十郎が。

「え、なに」

視線を手元からずらすと、小さな箱が目に入った。
片倉が無表情にそれを佐助に向かって差し出している。固そうな掌に、可愛らしいリボンがあしらわれた小箱は
なんともミスマッチだった。何故かこめかみを汗が伝う。何故か。

「やる」
「え、でもおれさま今日誕生日じゃな」
「どうせてめえに買ったんだ」

ならいつ渡しても一緒だろう。と、ここでまた片倉理論。
一緒じゃあないと思う、とかなんとか思いつつ箱の蓋を除ける。

「………給料何ヶ月分でしょうか」
「知りてえか」
「訊かないでおきます…。ていうかこのチョイスはまたどうしたの」
「政宗様が見ておられたドラマが」
「あいつは恋に恋する三十路越えか!」
「他には特に思いついてなかったからな、これでいいかと」

政宗が見ていたドラマは十中八九恋愛ドラマだ。主演の若手女優を政宗が密かに贔屓していることくらい承知し
ている。確かにこんなこてこてのシーンもありました。ていうか今日の一連の出来事もみんなありましたよ。だ
からといって身内で遊ぶな。片倉さんを巻き込むな。そして何より俺様を困らすな。
するりとした銀色のリングが、暖色の照明を反射している。
…ここでつっかえすのもあれだろうとは思う。思うが。

「…くれるの?」
「何度も言わせるな」
「えっと、それでこれってさぁ、なんていうか」
「なんだ」
「いやほら、えーっと」
「殴るぞ」
「気が短い!あぁもう、ちょっと手!見して、両手!」

テーブルの端をばんばんと叩く。
眉をひそめて提示された二つの無骨な両手。その右手薬指。目を凝らすまでもなく細身の銀色が光っていて、佐
助はぎゃああという悲鳴を懸命に飲み込んだ。二秒くらい落ち込むと、小声で目の前の男に食ってかかる。

「ちょっとちょっと!これどうすんのこれ!」
「なにがだ」
「なにがって、これです!何しれっとはめてんの!こ、これじゃまるで」
「あぁ、買ったのはペアリングだか」
「言うな!」

手元にあったパンを思いっきりふざけた口に押しつける。心底食べにくそうだが知ったことではない。
こちとら声を小さくした分勢いよく頬に集まる熱をガードするのに必死だ。いつからこんな人体構造になったん
だろう。脳も、身体機能の一切を取り仕切ってるんなら血液の流れ方くらいコントロールしてほしい。
押し込まれた分を咀嚼してから、片倉が口を開く。

「なんだ、不服か」
「そういう次元?これ!」
「そうじゃねえなら、はめろ」
「へ」

いつの間にやら佐助の指輪を手にしていた片倉は、弛緩した佐助の右手をひょいと持ち上げる。そして指輪を薬
指に、ってさせるか!

「ちょぉっと待った!!!」
「うるせぇ」
「だって、ぎゃあなにしてんのさ片倉さ」
「黙ってろ」

お返しとばかりに口に詰められたパンと格闘している内に、指輪は薬指になんなく収まった。
ぱ、と放された右手に小さな重みが残る。それがやけにしっくりとしていて、佐助は大きく息を吐いた。なんだ
か馬鹿らしくなってきた。あぁもういいや。

「…片倉さん」
「どうした」
「俺今日からこの日が誕生日になりました。よろしく」
「…そうか」
「その代わりきちんと毎年祝ってください」
「ああ」

あっさり戸籍改竄が受理されてしまった。国もかたなしである。
大いに脱力する。

目を閉じてコーヒーを飲む片倉が少し柔らかく見えるのは気のせいか。
神社に行くまで見えていた気がした触覚とか、そういう宇宙人的なものが今はまったく見えなくなって、大層安
堵している自分がいるのは気のせいか。
佐助は、脳内辞書の恋人欄と誕生日欄に大幅な修正を加えることを決めた。

「とりあえずケーキセットおごってよ」
「…安い奴だな」
「その代わり片倉さんの時のケーキも片倉さん持ちです」

少しだけ驚いて、少しだけ唇の端を吊り上げる。その顔が。

「(好きだなあ、とか)」

喉に詰まった甘口の言葉を、気の抜けたコーラと一緒に流し込んだ。




おわり
▲

ごめんなさい。haloさんの片倉先生シリーズが大好きでやりました。後悔は…大いにしています許してください!
それでも一応気持ちだけは込めました!haloさん、本当にお誕生日おめでとうございます!




haloのいらん感想

片倉先生かわいすぎるんですけどぉぉぉおおおおおおお!!(大興奮
先生が宇宙人ではなく妖精さんに途中見えましたwww私も小十郎が階段から落ちる所見たいです!
っていうかペアリング!!なんだ結婚する気かよ!それかもうしちゃいなよ!!
そしてこの誕生日誤解事件はオフィシャル設定でこれからいきます!!!

あわわわわ!こうさんこんな素敵な物送って下さるなんて・・・
サイト作ってよかった!!サスコジュサスはまってよかった!!

本当にありがとうございます!!キモイくらい読み返しました!顔がゆるみっぱなしです!
そして先生が可愛いアクセントのついたリングを買ったんじゃ無くてよかったと心底思ったhaloです!










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