佐助は今、暑くて死ねそうだと思っている。


来いと不躾に言われ仕方なしに指示された場所、数学準備室の前の廊下に立っているのだが。


鍵は開いていない。鍵は片倉が持っている。片倉は見当たらない。


「・・・あんのやろうめ。鍵くらい開けとけよ」


佐助は小さな声で呟いた。本当に小さな声だ。隣にいても聞こえないくらいの小さな呟き。


だってこれを聞かれると佐助は確実に片倉に殺される。


でも佐助はその前に暑さで死ねそうだ。






== 全ては夏のせい ==







「何してる」

佐助が待つこと十分。片倉はようやく佐助の前に姿を見せた。

「・・・おせーですよ。マジで」

流石の佐助もここは嫌味を言わずにはいられなかった。

しかし当の片倉はそんな嫌味など気にした風もなく、そういや呼んだか。などとまるで他人事だ。佐助は片倉の
態度に多少苛立ちを感じるが、どうせ苛つき損なのだ。彼と接する中でムカついては負けだと最近気付いた。

どんなに佐助が怒った所でこの男は全く気にしない。それに佐助も片倉が怖くてとても本気でなんて怒れない。

「十分近く待ったんですけど。あぁもー俺授業始まっちまうんですが・・・」
「それにしてもお前汗だくだな」

検討違いな返事を返しながら片倉は準備室の鍵を開けガラガラと扉を開けた。
佐助は室内に入る片倉の後に続いた。

「そりゃー廊下で十分も待ってればねーって先生聞いてる?俺、今から、授業」

暑いし意味わかんねぇし最悪だ。佐助は思った。
次の授業は確か古文だった筈でこのままじゃ確実に上杉先生からのお小言は免れないだろう。

「次、お前授業なんだ」

半ば目の前の男の子とを放棄して別のことに思考を廻らせてようとしていた佐助は、へ?と言いながら急に尋ね
てみた片倉に上杉先生の古文と答えた。

「そうか」

ひとり納得をするなり片倉は準備室奥のデスクの方に移動し机に置かれた受話器を取った。
そしてそれを左側の首と肩で挟み込み軽く手を添えながら空いた手で何やらボタンを押している。


黙って何かしている時は男前なのに、とその様を見ながら佐助は思った。どうして口を開くとこうも意味不明なの
だろうか。きっと政宗もさぞや苦労しているに違いない。ピッピと電子音が数回した後に内線の呼び出し音が受話器
から漏れて聞こえてくる。準備室のエアコンはまだ入っていない。それにしても暑ぃなと制服の襟元を摘んでぱたぱた
と少しでも暑い空気を逃がそうとした。

「お疲れ様です片倉です。あ、いえ。ええまぁ。いえそれがこちらの準備室でうちの猿飛が具合が悪くなったよう
  でしてえぇいや。ええだから少し休ませてから教室に帰そうかと思うのですが・・・」

「は?」

「・・・え?いや、たいした事はないようで、ええ、えぇまぁ。はいでは失礼します」

佐助は片倉が内線で話している内容に全く身に覚えがなかったしあまりに突然だったので思わず驚きの声が出た。



「・・・なにやってんすか」
「あぁ?・・・待たせた詫びだ。少し涼んでけ」
片倉はそう言うと準備室のエアコンを入れて椅子に腰を下ろしてしまった。
そのうち立ってンなうぜぇよ。と酷い言葉を投げつけられ佐助は無言で近場の椅子に腰を下ろした。

「なに考えてんだよあんた・・・」
「別に」

そう何でもないように答えると片倉はそのまま机の上の答案用紙に目を通しだした。

何なのだいったい。

自分の周りには他にも数人訳のわからないのがいるがその中でも目の前の男は群を抜いて訳がわからなかった。
この男はいつもこうだ。生徒である自分をこき使うだけならまだしもと別扱いをしたりする。
最初の頃は嫌われていて嫌がらせをされている物と思った。しかしどうも違うらしいとこの頃気付いた。
嫌いな人間にこんな事しないと思う。自分なら絶対にしないだろう。

しかしそうだといってこれは片倉が佐助を構う理由にはならない。

片倉の同居人である政宗が言うに本人に意識はないが佐助のことを気になるらしいのだが。堪んない。と佐助は思う。
だってこんな怖いおっさんに気になられても正直困るだけだ。

「・・・ところで用事ってなんですかい」

パサパサと片倉の手に持つ答案用紙の動く音とエアコンの音だけが響いていた室内に妙に佐助の声が響いて聞こえる。


こんなん間がもたねーよ。


「別に」

また同じ答え。佐助はこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。最近この男の前で畏まっているのが馬鹿馬鹿しく
なってきていて、こう二人になった時は多少崩れた口調で話している。それもはじめは怒られると思ったのだが
片倉自身が『それでいい』と言ったのだ。そのせいで偶に恐ろしく砕けて話しそうになってしまう。


「もしかして、あんた俺に会いたかったんじゃねーの?」

あまりにも訳がわからなくて、そろそろ暇を持て余していた佐助はそう言ってみた。
予想では恐ろしい罵倒の言葉が返ってくる筈である。

阿呆とか馬鹿がとか頭が膿んでるとか言われると思った。


なのにこの男は



よりにもよって






「・・・あぁ。そうかも知れねぇな」







と言いやがった。


「はぁ?!何言ってんだよあんた!気持ち悪いだろ!」

佐助は思わずここが準備室であるのも自分が具合が悪くなった事になっているのも忘れ思わず大声を出してしまった。

何を言い出すのだこの男は!佐助は段々と涼しくなりだした室内で発汗しそうになった。何だかよくわからない汗だ。
悪い冗談はやめてよ。顔に似合わないよ。と佐助は顔を引きつらせながら何とか声に出す。

しかし片倉は佐助の気持ちなど知らずに解答用紙から目線を上げ首を傾げて見せる。

「わからんが、急にお前のことがきになってな。何だか今お前が言ったのが一番しっくりくるような気がする」
「そういうの気持ち悪いって言うって先生知ってる?」

佐助は口の端を引くつかせながら言う。なにこの人本気で気持ち悪いかも、と佐助は真剣に思った。
だってどの口が自分に会いたいなどという。いや目の前のおっさんの口だけど。そう佐助がうろたえている間にも
片倉は何でもないようにまた解答用紙に視線を戻す。本当になんでもないように。

あぁ。なんでもないんだ。佐助はまだ混乱する頭で考えた。

きっと片倉にとって佐助がこうやっているのが何でもないことでむしろ当たり前になりだしているのかもしれない。
佐助からしたらそんなの願い下げだが目の前の男はそうではないらしい。

横にいる事がなんでもないから思わずいつも佐助にばかり雑用を言いつける。
横にいる事がなんでもないから偶に妙に気になって佐助の顔がみたくなる。


それはもう、惚れた腫れたなどという可愛らしい物でも片思いなどという淡い物でもない。
だって傍にいるのが当たり前なんて交際期間がそこそこ続いた男女の思考だ。

片想いとか恋とかはいつも不安で仕方がないものだと佐助は思っている。相手に好かれたいと思うしどうしたらもっと
好きになってもらえるか、好きでい続けてもらえるか。その事が頭から離れず不安で仕方がない。
お互いにそう思うから心を通わせて一緒の時間が過ごせるのだと思う。

まぁ佐助には今だにそんなことを真剣に想える相手に出会ったことはなかったが。

でもこの男はどうだろう。佐助に対してきっと何もかもが当たり前で安心しきっている。

そもそも佐助と片倉はそんな関係ですらないし、そうであったなら気持ちが悪いじゃ済まされない。

「・・・先生は俺の事どぅ思ってんですか」

怖くてとても大きな声で聞けなかった。
どう答えが帰ってくるかはわからなかったがこれを聞いたら何だかダメになるような気がした。

なのにこの男というやつは

「さぁな。わかりゃ苦労せんだろうし、政宗さまにも根掘り葉掘り問い詰められたりせん」

片倉はここ最近、政宗に佐助の事を問い詰められていた。
きっと元々面倒見のいい政宗のことだ佐助の事を気にかけていたのもいたのもあるが何より同居人の
片倉の不思議な態度が気掛かりだったのだろう。この男はどれだけ自分や政宗を振り回す気のだろうか
無意識などの言葉ではもう片付かないと思う。少し前に佐助は政宗に、あいつは間違いなくお前に迷惑
をかけるだろうができれば無碍にしないでくれ。と言われた。あぁこのことだったのか。佐助は気が
遠くなりそうだった。たぶん政宗はこの男の感情に気付いてしまっていたのだろう。


そして佐助も今何となく気付いてしまった。



片倉は佐助の事が好きなのだろう。




「どーすんだよ」

佐助は呟いた。気付いたところでどうしようもない。だって当の本人がそう思ってないのだから佐助は振る
こともできないではないか。周りが気付いていて本人だけ知らない恋心なんて滑稽でしかない。そして
それに振り回されている佐助自身も滑稽だ。本人が気付いて無いのならなかった物とすれば容易いのだから。
なのに佐助はそうしようと思わなかった。政宗に無碍にするなと言われたからか?いやたぶん違う。佐助にも解らなかった。

はぁっと佐助は大きな息を吐く。

佐助は無言で立ち上がり片倉のデスクまで近づいた。
そして手を伸ばし片倉のシャツの胸ポケットに治まった携帯をするりと取り出し画面を開いた。

「おい。何しやがる」

佐助の行動に片倉は携帯を取り返そうとするが佐助はそれを避けながら携帯を操作する。そのうち返事も
しない佐助に諦めたのか明ら様に不機嫌な様子で片倉はじっと佐助を見た。すると佐助はある程度携帯を
操作すると無言で携帯を片倉の方に放った。

「なんて顔してやがる」

片倉は携帯を受け取り視線を佐助に戻すとそこには苦虫を噛み潰したような佐助の顔があった。
佐助はそれっと顎で携帯を指しながら俺の番号とか入れといたからと言った。

「は?」
「だから、あんたのに俺の番号とアドレス入れたから今度からそっちに連絡しろよ。
  今日みたいな事何回もできねぇだろ」

佐助にそう言われた片倉は自分の手にある携帯を開いて確認する。佐助はその様子をなんとも言いがたい面持ちで見つめた。

こんな事しても自分には少しもメッリトがない。あるのは多分デメリットだけだろう。

それでも佐助はこうしておこうと思ったのだ。

態々この面倒くさい男との接点を増やしてどうすると自分で思わなくも無いが何となく教えておこうと思ったのだ。
そしてたぶんこの男は連絡をしてくるだろ。そしてたぶん自分はこの男と連絡を取り合うようになってしまうんだろうと思った。

「・・・わかった」

そう片倉は呟くと俺のはと聞いてくる。お前は俺の番号を登録しないのか。

「いらねぇよ。どうせ直ぐにメールでもしてくるんだろ。あんたのそんときまでしらなくていーですよ」

へらりと佐助は笑った。まるで自分が連絡を待っているようだ。メールを送る理由を作ってやるなんて馬鹿馬鹿しい。
けれどその馬鹿馬鹿しいことを佐助はしてしまった。


「本当に俺さまってお人好しだぜ」



佐助が自嘲気味に言うと片倉は首を傾げている。なんでもねぇよと付け加えそのまま先ほどまで座って
いた椅子まで戻って腰を下ろした。この事はあの三人には言わないでおこうと思った。言うと確実に
何か言われる、あぁでも直ぐにばれるんだろうなこの男は政宗に聞かれたら素直に話すだろう。
そのときどうやって言い訳しようかと、佐助は考え出した。

「猿飛」
「はい?」

呼ばれ返事をしながら片倉の方をみると彼は珍しく困ったような顔をしていた。

「・・・迷惑じゃないか」
「え?なに政宗に言われたの?」
「・・・」

どうやら図星らしくどこかばつの悪そうな顔をした片倉に佐助は思わず笑ってしまった。怖い顔のおっさんが困ってる。
きっとこんな顔政宗も滅多に見ないに違いない。

「迷惑じゃあねーですよ」
「そうか・・・」

今度は声を出して笑ってしまった。しおらしい片倉なんて珍獣よりも珍しい。佐助はケラケラと笑ったまま片倉に言った。

「面倒だとかウザイかなとかは思ったことあるけどね」
「・・・おい」

ウザイと言われ思わず眉間に皺を寄せる片倉に佐助はへらっと笑って見せた


「迷惑とか思ったことはねぇーし」


佐助はそこまで迷惑と思ったことなど無かった。周りで幸村と政宗が暴れたりする方が余程迷惑な気がする。
そう言うと片倉はそうかと呟いた。





そして




あの片倉小十郎が微かに笑った。たぶん笑顔だった。


「そうか」


もう一度くり返すと片倉は今度こそ仕事をしだしてしまった。
佐助は幻でも見たような気持ちになった。はじめてだ、初めて佐助は片倉が笑ったところを見た。
その顔は意外に優しいものだった、こんな怖い人があんな顔ができるのだなと佐助は思わず感心してしまいそうになった。


そしてまた見てみたいと思ってしまった。





―――たぶんあんまり暑い廊下に長いこといたからちょっと頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
でないとこの男に連絡先を教えたりあまつさえ片倉の笑った顔がまた見たいなどと思うはずが無い。 

佐助は暑さにやられた自分を本気で心配した。





一瞬、笑顔がまた見たいと思う前に綺麗だなと思ってしまった自分の頭を佐助は本気で心配した。










厳しい夏の昼は熱中症に気をつけましょう。










おわり




拍手につけてたお話です。
そんなつもりなかったのにシリーズ物に(笑)

2007.07.21
2008.03.08ちょっと加筆、修正



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