酒の魔力というものは









夕方過ぎ、学校も終わり自宅に帰った佐助は洗濯物を干しながら晩飯作るの面倒だな、などと考えていた時に携
帯がメールの着信を告げた。携帯から流れる音は自分の認識が間違いでなければ片倉からのメールだ。

「今更晩飯のリクエストたっておせぇよ。今日はカップラーメンです」

既に本日はインスタントだ。と決定を下していた佐助はたまに片倉がメールで夕食のリクエストをしてくるの思
い出し今回もそれだろうと予想しながらその要望の却下をあえて電話でしてやろうと目論みながら携帯を開いた
。するとそこには。






件名:最悪だ。

本文:今夜は飲み会になった歓迎会だそうだ。だから遅くなる。
   でもそっちにはいくつもりだ。






という内容が記されていた。

なんだ飲み会か。佐助は片倉からのメールを繁々と見ながらそう言えば先日季節はずれの転任があったな。と思
い出した。歴史の教師をしていた北条先生が体調を崩したために代理として新しく先生が学校へきたのだ。名前
は何と言っただろうか。たしか…松永といっていた気がする。佐助は特に興味も無かったため集会の内容を話半
分にしか聞いていなかったのでいまいち確証がない記憶を思い返した。
そういえば、その日の夜に片倉がどうのこうのと言っていたのも思い出した。ああだから件名が最悪で、内容が
なんとも投げやりなものだったのだろう。
佐助の覚えているだけの記憶の中での松永の印象は少し神経質そうな普通の中年男性の思えたがその教師の何か
が片倉の癇に障ったのだろうか。

これは帰って来た時にあの宇宙人様は機嫌が悪いかもしれない。佐助はそう思い夕飯のカップ麺を買いに行くつ
いでに彼の好きなケーキでも買ってきておこうか。などと考えながら佐助は一応気遣い程度に飲みすぎんなよ。
という内容の返信メールを送った。














ガチャっガチャガチャ





普段すんなり開く筈の玄関のドアの何に苦戦しているのか余計なほどドアノブを回す音に気付いた佐助はやれや
れと声に出した。酔って帰って来やがった。しかもお約束のような酔っ払い方だ。佐助は片倉の顔とキャラクタ
ーからでは到底想像できないであろう玄関先でドアと格闘している男をとりあえず向い入れるべく内側からドア
ノブを回し扉を開けた。

「おかえんなさい。酔ってんね片倉さん」

にこりと笑う佐助に片倉はこれまでどうやっても開かなかったドアが普通に開いた事を不思議に思ったのか繁々
といまだに握っているドアノブを見つめる。そんな片倉を珍しい物を見るような目でみる佐助はやはりにっこり
と満面の笑顔を浮かべ片倉を部屋へと招き入れる。
佐助は片倉が本気で酔っている所を初めてみた。これまで何度も教師とその生徒という関係にありながら二人で
アルコールを買ってきては酒盛りをしてきた。実際は酒盛りというほどでも無いのだがけれどそれ故に片倉が酔
った所を一度も見たことが無くそんな片倉の新しい一面に佐助は不思議とわくわくとした好奇心に駆られたのだ
。これでもし片倉が何か奇行に及んだ場合それを弱みにして彼の暴走を止めることが出来るかもしれない。とそ
う佐助は考えたのだ。今の玄関先での奮闘も充分に面白いがそんなものきっと何の弱みにはならないであろう。

ふらりと佐助言われるまま家の中に入った片倉は覚束無い足取りではあるが靴を脱ぐと佐助の洋服の裾をついと
引いた。

「猿飛」
「え、なんすか」
「大発見をした」

突然何を言い出すのかと佐助はその突然の片倉の開口にただ首を傾げるだけだった。

「人間ってのは誰かを嫌いになるのに時間なんか関係ねぇんだな…」

そう目を細めながらしみじみと言う片倉に佐助は傾げた首をどうにか元に戻せたが片倉の発言に開いた口を閉じ
る事ができなかった。
何を言い出すんだこの男は。これが佐助がまず始めに思った感想だ。この男の意味のわからないのは今に始まっ
た事では無いけれどその中でも今の発言が群を抜いて突拍子も無いものであった。

「…飲み会でなんかあったの?」

酔っているのが原因であるのは明らかではあるがしかしそれにしても、と佐助は片倉の様子を訝しんだ。相変わ
らず佐助の服の裾を掴んだままとなっているし気のせいかいつもよりも二人の距離が近いような気がする。

「猿飛」
「はいはい」
「猿飛」
「だーかーら、何よ!」
「俺はあの松永の野郎が大嫌いだ」

そのまま無理やり佐助の後頭部に額を押し付けた片倉は床が柔い。とおかしな事を呟いている。いやちょっと重
いんですけど、佐助は苦情を申し立てるが少しも聞き入れてくれる気配が無い。

「あんたねぇ、相当酔ってるでしょ?」
「…酔ってねぇよ」

酔っ払いほどそう言うって知ってますか。と片方の眉を引きつらせながら言う佐助を完全に無視した片倉はふら
ふらとけれど前にいる佐助を押すように歩き出した。何この酔っ払い。佐助はなんだか肩に重みを感じ溜息を吐
く。実際己よりも大きな男が背中に体重をかけてきているのだから肩が重いのは当然と言えば当然の事なのだが
精神面で重たい感じがする。ついさっきまで佐助が感じていた好奇心はすっかり拡散して消え失せてしまった。

「猿飛、さるとび」

先ほどから己の名前を無意味に連呼する背後の酔っ払いを尻目に佐助は本人から何があったのかを聞き出すのを
素早く諦めるとそのまま背中の酔っ払い星人をベッドまで引きずった。その間も片倉は佐助の背中に体重をかけ
ながら猿飛、と名前を呼んでくる。漸くベッドにたどり着いた時に家が狭くて良かった。と自宅の狭さに感謝し
た佐助は背中の子泣き爺よろしく酔っ払い宇宙人をその上に転がした。

「ちょっと待ってなよ。水持ってくるからさ」

片倉がベッドから落ちない事を確認した佐助はそのまま台所へ向おうとした。
すると、ツンと何かに引っ張られたような感覚がした佐助は振り返って見ると寝かす際に洋服の裾から離れた筈
の片倉の手がまた佐助の裾を掴んでいる。それをしている本人自体は体を横にした事で目でも回り出したのだろ
う苦渋の表情を腕で覆いながら小さく呻いている。
これは相当悪酔いしたみたいだな。実家の関係者の多くが宴会好きな佐助は過去に今の片倉のような顔をしてい
る人間を何度も見てきている。

それにしても。佐助にはひとつどうしても不思議に思えてならない事がある。片倉のような人間がただの飲み会
で、しかもあまり好いていない人物の歓迎会でどうしてここまで酔って帰ってくることが出来たのだろうか。あ
まりの不快さに酒を流し込んだのだろうか。けれど片倉ならば居たくない場所に無理に耐え続けてまで居るよう
な事はしないのではないだろうか。恐らくはある程度失礼にならないくらいに挨拶だけ終わらせてとっとと帰っ
てきてしまいそうだが。

「もぉ片倉さん手ぇ離して。水持ってくるだけだから、ね?」

服を掴んでいる手の指を一本ずつ外しながら言い聞かせるように言う佐助に小十郎は明らかに渋々、といった様
子で手を離した。何だかその様が普段の片倉からあまりにもかけ離れていて佐助は思わず笑ってしまう。





「何だ酔うとかわいいじゃん」

って可愛くはないだろ。グラスに水を注ぎながら不意に零れた己の呟きに誤魔化すようにツッコムと先ほど玄関
口で感じた憂鬱さが消えていることに気付いた。あれだけ己の名前を連呼した挙句にまるで行かないでくれとで
も言うように服の裾を掴んで離さない片倉なんてこれまで想像した事がない。というか酔ってこんな風になるな
んて思いもしなかった。あんな事されるとまるで片倉が可愛く見えてきてしまう。
そう見えてくる佐助の目と脳はすっかり片倉に絆されてる証であるが佐助自身未だに認めたくない節があったり
なかったりするため出来るだけ今の片倉を可愛いと思いたくないのだ。
水を注いだグラスをテーブルまで持っていった佐助は、まぁ気になるしね。とついついベッドを占領している宇
宙人を思い浮べては何故か顔がニヤけそうになるのを止め携帯電話を手にした。

画面を開き少しだけ操作した後に携帯を耳に当てる。

呼び出し音が数回続き、五回目の呼び出し音が終わりかけた途端その音がプツリと途切れた。


「あ、もしもし大将?俺です佐助です」
『なんじゃ佐助、お主から連絡を寄越すとは珍しいのぅ』
「いやーまぁね。それより今日飲み会だったんですって?」
『なんじゃ知っておったのか話が早いのぉ。今宵は松永先生の歓迎会でな』
「じゃあ上杉先生との恒例の飲み比べができたんじゃない?」

それとなく歓迎会での出来事を聞き出そうと話を振る佐助に信玄はそれがなぁ、と少し残念そうに言葉を紡いだ。

『儂も始めはそのつもりじゃったんだがのぉ…先を越されてな』
「越された?」
『うむ。松永先生と片倉先生がのぉ何やら盛り上がって飲み比べを始めたのじゃ。
 流石に四人で飲み比べて店の酒を空にするわけにもいくまいて…』

そういう事か。佐助はベッドの横たわって呻いている宇宙人を見やりながら漸く合点がいった。

『それにしても片倉先生があそこまで感情豊かに誰かと話すのを見るのは初めてじゃ!
 松永先生とは気が合うようじゃよ。松永先生に何度も吠えかかっておったわ!』

いやたぶんそれ違うから。佐助はそう思ったがそれを口にする事は出来なかった。

『松永先生は中々語り上手でな、それに見事に乗って話す片倉先生も中々じゃ』

要するに松永に何やら挑発された片倉はそのまま怒りに任せて酒を飲んでしまったのだろう。こんな片倉の意外
な一面など知りたくなかった。と思った佐助はそのまま機嫌よく上杉先生の話や幸村の話をし始めた信玄に上手
く相打ちをしながら上手に話をまとめ電話を切る。
普段コチラから滅多に連絡を入れない分たまに電話をすると信玄は恐ろしい程よく喋るのだ。普段ならば独り暮
らしをさせてもらえているし心配もかけているため佐助も話の腰を折ったりすることは無いのだが今は残念な事
にそれどころでは無い。なぜなら部屋の奥に泥酔しかけの宇宙人が居るのだから。

片倉は確かに短気そうに見えるし期待を裏切らない、むしろ期待以上に短気な性格ではあるがそれでも自分の限
界を忘れて酒を飲むような事をする男では無い筈である。少なくとも佐助はそう思っていた。
きっと松永と片倉は余程反りが合わなかったのであろう。佐助にだってそんな見境の無い事はしない(されても
さぞや恐ろしいだろうからそんな事してくれなくても良いが)けれど何だか誰かが勝手に人の物の秘密を見つけ
てしまったような気がしてあまりすっきりとしたものではない。

「あれ?」


なんで片倉が自分のものとか思うのだろうか。片倉は佐助の所有物ではない。



佐助はまたもや自分の思考に驚き動作を思わず完全に停止させてしまう。すると部屋の奥から佐助を呼ぶ声が聞
こえ佐助はその瞬間我にかえった。

「さるとびぃ」

恐らく直ぐに戻ると言ったにも関わらず信玄と話していたり固まっていたりでいつまでも戻ってこない佐助に片
倉が痺れを切らしたのだろう。もしくは本格的に酔いが回って具合が悪くなったかだ。
佐助はその呼びかけにはいはい!と応えながら思考を一端止めてグラスを片手に片倉のところへ持って行く。




寝室に行くと先ほど横になった筈の片倉が起き上がりゆらゆらと左右に揺れている。

「具合どう?吐き気とかない?」

グラスを片倉に渡し落さないか不安でグラスに添えてやると問いの答えの代わりに片倉はまた一言、猿飛。と佐
助を呼ぶ。それにやはり佐助は、はいはい。と応えながら小さく笑う。もう一度平気?と尋ねれば今度はこくり
と彼は頷いてみせる。どうやら吐き気とかそう言ったものはないらしい。

「酷い飲み方したんだって?大将から聞いた」
「…うるせぇ」

松永の所為だ。とまた松永に呪いでもかけるように恨み言を言い出した片倉に佐助は呆れて苦笑しながら横にな
っていた方が良いと肩を軽く押し寝転がるように勧める。佐助に押されるまま体を横にしだした片倉は今度は今
自分の肩に置かれている佐助の手首を握っていた。

猿飛、猿飛

そしてぐいともう片方の腕を佐助の首に回した片倉はそのまま佐助を抱き込んだ状態で仰向けにベッドの上に横
になった。佐助はいきなりの事に何がどうなったのかが理解できず固まってしまう。頭上でやはり酔いの所為で
苦しいのかふぅ、と息を吐く音と己の頭を預けている胸が大きく上下に動いた事ではたと現状を理解した。

「ちょっ!!かたくらさん?!」

思わず声が裏返ってしまった佐助は体を起そうとするが存外片倉は力を入れているらしく今の体勢では不利な事
から佐助は思うように動けない。

「…しぬ」
「いやいやいや!なら俺が上に乗ってたら苦しいでしょ?!退くから手ぇ離して」
「いや、だ」
「嫌って…あんたねぇ」
「また…どっかに行く気だろ」

苦しいのかいつもよりもかなりゆっくりと喋る片倉の声はやはり苦しいのが原因か幾分か掠れて聞こえる。しか
しその声が凶器にも似た威力を持っているようで別に耳元で囁かれているわけでもないのに耳朶の後ろがぞろり
と粟立つのが己でもよくわかる。片倉は元々がイイ声をしているのだ、それを意図的にでは無いにしろこんな風
に喋られては心臓に非常に悪い。
佐助はもう何処にも行かないから、と肩を軽く数回叩いて見るが片倉は少しも聞く耳を持たない。それどころか
更に腕に力を入れてきゅっと佐助を強く抱きこむ。

「…電気のまわりに…ありゃ、ほしか?」
「ないない!星なんてないから!」

目を細め天井を凝視している片倉は本物の酔っ払い以外の何者でもなくどうやら口でどうの言って何とかなる状
態ではないようである。
アルコールが回りいつも隣で寝ている時よりも幾分か高くなった体温がじわじわと密着している部分から伝わっ
てくる。その熱に合わせるように片倉が呼吸をするたび上下する胸に仕方無しに頭を預けた佐助はどうやってこ
こから脱出したものか考えた。考えつつこのまま寝てしまうのも有りな気もしないではないが今己の下に居る酔
っ払いがまだスーツをきっちり着込んでいる為そんな事もしたくは無い。片倉が勝手にスーツを皺にしてしまう
のは別に問題ないがこの狭いベッドで一緒に、しかもくっついて寝るとなると上着の固さでごわごわしてさぞや
寝心地が悪いだろう。
仕方ない。佐助は考えた末に抱き込まれた状態のまま出来る範囲で片倉の服を脱がせようと思った。一度脱がせ
てしまえば後はまたそのとき考えれば問題ないだろう。佐助は段々この酔っ払いの事を心配するのが馬鹿らしく
なってきたのだ。

そう結論付けると、早速佐助腕を動かして大分緩められたネクタイを解きに掛かる。シュルリと音を立て襟から
それを引き抜き床に落す。

「片倉さん上着、上着脱ごう」
「あ?」
「もう寝るんだろ?ならさ上着脱いじゃおうぜ?」

ね。と出来るだけ明るく言う佐助に片倉はたっぷり数秒固まって難しい顔をした後の緩慢な動きで体を起した。
そののっそりとした動きに佐助は笑いたくなったが片倉がいつまた横になるか予測ができないためそそくさと上
着を脱がしにかかる。すると難しい顔をしたままの片倉が首をこくりと傾げた。

「……おい」
「はぁいおじいちゃん腕上げましょうねぇ」
「年寄りじゃねぇよあほう…さるとび」
「はい?」


「お前、俺を襲う気か?」


佐助は言われた瞬間まるで石化したようにピシリと硬直した。

合っていない焦点を懸命に合わせようとしているのか眉を寄せ目を細めながら小十郎は己の上着を掴んでいる佐
助の手と顔を見比べる。こくりと佐助の顔を見たときもう一度首を傾げ固まった佐助にどうなんだと再度問う。
どうなんだも何もそんな気など佐助には更々無く、今のこの状況がまさかそんな方向へと解釈できてしまう事に
すら佐助は驚いた。

「お、お襲うわけ無いじゃんこの酔っ払い」
「おそわんのか」
「…襲わねぇって。それともアンタ襲って欲しいのかよ」
「いまなら、怖い物はなんもねぇよ」
「っていうかアンタたぶん今、使い物にならないと思うよ」

あまりに酷くよってしまった場合、男の生殖器は使い物にはならなくなる。そして今の片倉は確実にそれだろう
と佐助は冷静に判断する。しかし片倉は何も困った様子は無く寧ろ不思議そうに首を傾げるだけだ。

「なんで」
「何でって…そりゃアンタが酔ってるからでしょうが」

佐助も片倉の突然の発言に内心取り乱していたがなんとか平静を装う事に成功した佐助はこんなおかしな生き物
早く退治してしまおうと片倉の言葉を話し半分に上着を脱がせる作業を再開させた。力を抜いて寝転んでいる片
倉の肩を重たそうにしながら片手で浮かせその間に上着を引き抜いていく。その間も片倉は不思議そうにキョロ
キョロと目を動かし佐助の顔をじっとみつめた。
ああこれで上着を脱がせられる。佐助はもう殆ど脱げきっている上着をひっぱりながら息を吐くと片倉がまた佐
助の名前を口にする。

「はいはい。今度はなんだよ」
「お前がやりぁ問題ないだろ」

「は…」

「だ、からお前が上にな――」
「ぎゃあああ破廉恥ぃいい!」

片倉が全て言い終わる前に耳を塞ぎ叫び声を上げた佐助はそのまま上着を脱がすのを諦め男の上から飛びのこう
とした。したけれど知らぬ間に佐助の服の裾を握ぎられていて飛びのくことはできなかった。

「あああ、あ、あんまりね!へんな事言わないで!」

声をひっくり返すように言う佐助を煩そうに見上げる片倉は眉間に皺を寄せている。その歪めた表情の片倉に逃
げ切れず微妙に腰を上げた不自然な体勢を取っている佐助は思わず生唾をのんだ。怖い。佐助は己の顔から血の
気が凄い勢いで引いていくのわかった。

片倉の目が据わっている。

恐らくはと言うより完全に酔いの所為だろう事は間違いないが、それでもその目が佐助に否定を許すそれではな
く佐助は恐ろしい形相をした未知の生物と対峙したような感覚に陥った。背筋が強張って動かない。その強い視
線に(酔って目が据わってるだけ)佐助は己の心臓がだんだんとけたたましくなってゆくのに無意識に左胸をぎ
ゅっと掴んだ。襲えと言われてはい、いただきます。と人間そう簡単にいくだろうか。佐助は己のけたたましい
心音を耳の後ろでも感じながらそう自問自答した。
これが女の子であれば余程の事が無い限り佐助とて即座にいただきます。と手を合わせることができるであろう
。しかし、問題はどうぞ襲ってください。と言っているのが片倉であるという事だ。

何も片倉だからできないとかそういう事はないと自分の胸を押さえながら佐助は下唇を噛む。今はまだそうでも
ないがこれがもう少ししっとりとした雰囲気になっていればそのまま流されてしまいそうな自分に佐助は気付い
ている。けれどいくら恋人同士になっているとはいえまだ何もそういう事をしたことがない己達が片倉が完全に
酔った状態で(しかも酔っ払いの戯言を真に受けて)致してしまっていいものだろうか。いいや良くない。

夢みがちや乙女と言われ更にヘタレと罵られてもこの際構わない。佐助はもし片倉とそういう事をするのであれ
ば片倉も勿論自分も素面の時にしたいと思う。それに今の片倉の状態を見るともしかしたら翌日今の記憶が飛ん
でいるかもしれない。


そんなのはよくない。


佐助は拳に力を入れ乾いてくっ付いてしまいそうな喉に何とか唾をおくると片倉の名前を呼んだ。


「片倉さん」
「…ん?さるとび」
「や、やっぱりさ酔った勢いとかですんの良くないと思うわけで…」
「さるとび」

「だからね―――」
「おい猿飛」
「…はい?」
「据え膳は食っとけ」
「!?いやだからね!そっ「食っとけ」










「………………はい」








俺様の馬鹿!!佐助はそう自分で自分を罵りながらいつの間にか己の腕を引く片倉に誘われるまま体を倒した。
片倉の胸に己の胸がくっ付いてしまいそうなほど近づくと片倉が佐助の首に腕を回してくる。

俺様の馬鹿!意気地なし!へたれ男!

佐助は思いつく限りの罵倒を自分へ投げつけながら己の首に回った腕に力が篭るのを感じると小さく息を吐き出
しながら身体の力を抜いた。
























全身が痛い。片倉は首と背中の痛さに眠っていた意識を浮上させゆっくりとした動きで瞼を開いた。

目の前にはよく見知った明るい色がありその色の認識はイコォル猿飛。な片倉はいつものように佐助が隣に寝て
いるのだろうとぼんやりとした思考で考えた。しかしそれにしても背中が痛い。何か背中が痛いことをしただろ
うか。昨晩の事を思い返してみるがこれと言って心当たりもない。あまりの全身の痛みに意識は完全に覚醒した
片倉はギシギシと軋む体を緩慢な動きで起した。

するとそこは片倉が予想していた猿飛のベッドではなく猿飛の家にあるソファの上だった。
片倉が横になって寝るには到底狭いそこに無理やり身体を横にして眠っていたようで恐らくはそれが痛みの原因
であろうと片倉はくしゃりと頭を掻きながら考える。考えながらふと視線を下げると先ほど猿飛だと思ったそれ
は床に転がっていていつぞや己が買って帰ってきた猿の抱き枕型のぬいぐるみでどうやらそれを自分は抱えて寝
ていたようだ。

「…なんでこんなとこで寝てんだ」

申し訳程度にかけられてある毛布をはがすと片倉は己の格好に少しだけ目を見開き驚きの表情を浮かべた。毛布
の下の己の姿は正にパンツ一丁と言ったそれで下着しか着けていない状態となっていた。どういうことだ。片倉
は再度記憶を頭の中で巻き戻しながらいったい己の身に何が起きたのかを再検索する。すると先ほどから全く気
にはなっていなかったがこの家の主である佐助が文字通り頭を抱える片倉に声をかけた。

「あ、起きやがった」
「猿飛、…これはどういうことだ」

声のする方へ顔を上げるとそこには不機嫌が全面に出された佐助の姿があった。しかし片倉は佐助のそんな事を
少しも気にする事無く昨夜己の身に何が起きたのかを尋ねる。どういうことだ。と暗にまるでお前が何かしたの
ではなかろうなという言い方に佐助の不機嫌な顔の歪められた眉の片方がぴくりと動いた。

「………どういう事って覚えてねぇのかよ。あんた」
「覚えてるも何も…昨日は歓迎会で」
「そう、そして泥酔して帰ってきて」
「………………っ!」

難しい顔をしながら顎に手を添え考えだした片倉を冷めた表情で見下ろす佐助はかわいそうに床に転がった猿の
ぬいぐるみを拾い上げる。するとはっとしたような顔をした片倉に、なぁに思い出したの?と猿を抱えたまま腕
を組んだ。佐助は相変わらず冷めた表情のままだ。

「………昨日、お前それで…」
「思い出せた?何かむかつく事に二日酔いではなさそうなんですけど」




「やったのか?」


「やってねぇえよ!!!腐れ教師が!!!!」


「なんだ、してねぇのか」

けろりと首を傾げながら意外そうに言う片倉にがふっとぬいぐるみを投げつけた佐助は片倉に命中し鈍く跳ねた
ぬいぐるみを再度拾い上げるとそのまま今度は片倉の頭部に叩きつけた。
叩きつけたといってもそれは武器が武器なだけに大した威力を発揮する事はなく片倉は腕でもふっとした衝撃か
ら頭を庇いながら佐助に何故そんなに機嫌が悪いのかと尋ねた。片倉が目覚めてから今に至るまで佐助は終始ま
るで凍てつくような眼差しをしている。

「俺が機嫌が悪いだって?ふん。そう思うんならあれ見てみなよ」

佐助がそう言って指さしたのは寝室だった。その奥にはマットが外されたなんともみすぼらしいベッドの骨組み
が残っている。あれがどうしたのかと首を傾げると佐助はそのまま寝室を指した指をベランダの方へ動かす。そ
の動きに合わせ首を動かせばガラス越しにベランダにベッドの上のマットのようなものが干されている。

「お前、もら「してないから!」

片倉が何かを言い終わる前に言葉を重ねて口調を強くした佐助の眉間はよく見るとぴくりと引きつっており、片
倉はこれは相当頭にきているなと踏んで余計な事は言うまいと口を噤む。


「あれはアンタが俺とベッドに向って吐いたからだよ!!」


しかもアンタ昨日日本酒飲んでただろ!臭くって仕方なかった!おまけに至近距離なんてレベルじゃない!あれ
はゼロ距離射撃だ!そのおかげで俺もアンタもそして俺のベッドもテロ状態になったんだからな!その後も大変
だったんだ!アンタはそのまま気付いたら意識ないしグショグショだし、服脱いでアンタを脱がせて拭いてソフ
ァに運んで洗濯始めて………って!!

「アンタ聞いてる?!」


佐助は掴んでいるぬいぐるみを引き裂くのではないだろうかと片倉が思わず心配してしまいそうなほど強く握り
締めながらそれを両手で捻っている。しかし片倉が意識を動かしたのはそのぬいぐるみだけで佐助が怒りの表情
で肩を上げながら昨夜の大惨劇を語るのを尻目に片倉は冷蔵庫の扉を開けた。
そうか吐いたのか。片倉はその事実を他人事のように考えながらも道理で目覚めてからの口当たりが悪いわけだ
と一人納得する。片倉はあまり酒に失敗をしたことが無いが、稀にどんなにぐでんぐでんに酔ってもそれが翌日
になればけろりと元に戻っていて酒を翌日に引きずるような事は決してない。そして失敗と言っても少しふらつ
くだとかそのとき周りにいた人物曰く若干奇怪な行動を取っているというだけで今回のように嘔吐はするは記憶
は飛ぶは、などと言う事は過去に一度も無い。
それを考えると昨夜、松永がいかに片倉に酒を飲ませたか最早そんな事考えるのも腹立たしいと片倉は冷蔵庫の
中を見ながら舌打ちをする。
後ろではいまだ佐助がぎゃいぎゃいと喚いているがそんな事どうとも思わない。佐助が喚いているのは常である
し己も二日酔いではないためにそれを有害とは感じない。
そして冷蔵庫の中を見るという作業と同時進行で行われている思考がかすかに途切れた時に片倉はあるものを視
界にいれた。
それを見た途端、なんだか急に松永に向けていた怒りがすぅと消えていきそれどころか片倉は己の口の端が持ち
上がって口元を緩めたい衝動に駆られる。

「ねぇったら!ちょっと片倉さん聞いてんの?!」
「猿飛」
「っ!なんだよっ!文句あっか?」
「着替える。肌寒くなってきた」

ぱたんと冷蔵庫を閉めるとそのまま佐助の横を通り過ぎ佐助の家に常にある片倉の着替えの上着に腕を通しだし
た。肌寒いもなにも下着一枚の人間が冷蔵庫の前で固まっていいたらそらいくら、超人片倉でも寒さくらいは感
じるだろうさ。佐助は己が怒っていることすら虚しく感じでげっそりと肩を落す。

何さ、俺様をこんなに振り回してゲロまみれにしたくせに…

「…もぉいいですよ。そのかわりシーツとかさコインランドリー持ってたから財布を拝借したよ」
「何?!」
「そこは瞬時に反応するんだ!?」

服を着て足早に財布の中身を確認しに行く片倉をどこか異形のもの見るような目でみた佐助は財布を確認し終わ
ると同時に聞こえた舌打ちにもう一度肩を落す。

「…まぁいい。吐いたのは俺だからな。それより猿飛」

ぺいっと財布をまるで放るようにした片倉は食うぞ、と言いながら佐助の横をまた通り過ぎた。吐くほど酔った
人間がよくもまぁ翌日にこんなに元気に活動できたものだ。と佐助は尊敬すればいいのやら呆れればいいのやら
不思議な心地になる。とても似つかわしくない表現であるがどこかウキウキとした動作で冷蔵庫を開ける片倉は
佐助に首を傾げる。もしかしたらまだ脳内は酔っているのだろうか。

「フォーク、フォークもってこい」
「へ」
「へ、じゃねぇよ。これ、食ってもいいんだろ?」

これと言って片倉が出したのは白くて四角い何の変哲も無いがケーキが入っていると直ぐにわかる箱で、片倉は
その白い箱をどこかキラキラとしたような目で見ながら中身を覗こうとしている。

「あ。忘れてた」
「食ってもいんだろ?」

同じ事を二度言った片倉に佐助はそんなに食いたいのか、と呆れたがそんなにも何も佐助も片倉用に買ってきた
事に間違いはないため、眉をハの字にしながらいいよ。頷く。
フォークを佐助が食器棚から出している間にテーブルに箱を乗せた片倉は賞味期限の記されたシールを剥がして
早速中身を出しにかかっている。あんなに強面で実際顔の怖さに比例するほど怖い人なのにも関わらず甘味に目
がないなんてなんの冗談だ。佐助はキラキラ輝く可愛らしいケーキをそれと同じくらいキラキラした目で見つめ
る片倉に苦笑いをする。やはりたまにこの男が可愛らしく見えるのだ。

「片倉さんの好きなほうでいいよ」
「気前がいいな」
「元々はアンタが行きたくない飲み会に我慢して参加したみたいだからさ、それで買ってきてたんだよ」
「…そうか」
「でもまぁべろんべろんに酔って帰ってきたわけだけど」
「………」
「あ、フルーツタルトの方食べんの?じゃあおれこっちのチーズの方ね」

どこかばつの悪そうな顔をしながらもタルトをスススと自分の方へ持って行く片倉に笑い出したくなるがここで
笑ってしまえば臍を曲げるのは一目瞭然なので佐助はケーキの周りのフィルムを剥がしながら笑い出したい衝動
を堪える。本当は片倉の起した大惨事の所為で昨晩は寝れていないし朝食代わりにケーキを食べるのも遠慮した
いのだが目の前の男がその気になっているので今更それを言い出すことはできない。
佐助がチーズケーキの一番先端部分にフォークを入れようとするとケーキの上に大きな苺が乗せられる。

「なぁに、片倉さん苺くれんの?」
「………………詫びだ。いらんならやらん。食う」

本当はこの詫びとやらで寄越された苺を食べたいのだろう。明らかに未練たらたらな表情で苺をみて詫びだと謝
りながらも佐助を恨みがましい目で見てくる片倉にそんなに食べたいならくれなくていいのにと本気で呆れてく
るが片倉がこういった行動に出る事が珍しく佐助はまじまじと片倉の表情を窺う。

「いらんのか」
「いるいる。そのお詫びの心喜んで受け取っちゃう」
「っち」

今の舌打ちは照れたのを隠すための舌打ちじゃなく明らかに遠慮せずに苺を受け取った佐助への恨みの舌打ちだ
ろう。苺をフォークで刺し早速口に入れようとする佐助の手にする苺を目で追う片倉は眉間に皺が寄っている。

「片倉さん苺食べたい?」
「ふん。別に。てめぇにくれてやったんだ」
「ふーん」
「……」

片倉の目の前のタルトにはまだ沢山の美味しそうな果物が散りばめられている。その中で天辺に置いてあった苺
を片倉は本当は一番食べたかったのであろう。それを片倉は片倉なりに昨夜の惨事の詫びにと佐助に寄越したの
だ。


本当は一番食べたいだろうにね。


佐助はやれやれ、と心の中で呟くと己の口に入る寸前だったフォークの動きをぴたりと止めるとそのままくるり
と向きを変えた。


「はい。やるよ」
「……」
「反省してんなら今度から吐くまで飲むなよ」
「いいのか」
「まぁ、洗濯代勝手に使ったしね」

苺と佐助の顔を見比べる片倉に先ほど片倉自身が言ったように、いらないなら食べちゃうよ。と真似て言うと片
倉はぱくりと佐助の差し出した苺に口に入れる。
あまり変化していないように見えるがそれでもご機嫌な顔をした片倉はさして好みではないのだろうラズベリー
をこれは食えとどこか軽い調子で佐助にフォークで刺して差し出した。それを佐助が口に入れるのを見ると満足
そうにタルトに手をつける。

この時点で二人で交互にはい、あ〜んをしたことになるのだが片倉はどうも思っていないし佐助は一晩寝ていな
くて本人は平気のつもりでもどこかおかしなテンションになっていたので少しも己の行動を不思議には思わない。
朝一番から男二人でケーキをあ〜んし合いながら食べている様は異常と言う以外の何ものでもないがこの場には
それをツッコム人間は一人も居なかった。そのためゆるい雰囲気があたりに満ちもくもくとケーキの下に敷かれ
た銀紙がパシャパシャいう音だけが妙に耳につく。







「そういや、お前」
「なぁに」



ふと顔を上げた片倉は心底不思議といった顔で首を傾げる。











「あんとき俺が吐かなきゃそのままやってたのか?」











緩やかな休日の朝の風景の終わりの瞬間まで後僅か。





ナチュラルハイとなっている佐助の異常なまでの挙動不審振りは片倉曰く阿波踊りのようだったと後日政宗に
伝えられるのであった。











おわり




お題は「佐助に絡む酔っ払い先生」でしたが如何でしょうか…
もうね、佐助も早く諦めればいいと思うのです。そのほうが楽だよ。色々さ

あとまっつん初登場ですね。まっつんは飲んでる振りできっと酔ってません(笑
リクエストに添えているかどうか不安です…あわわ。やり直せと言われれば喜んでします!



2008.07.13



 
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