「あれとも長い付き合いなのか?」 先ほど会った真田幸村の事をあれと称した小十郎は買い物篭を片手に持ちながら佐助に問い掛けた。 それに佐助は、そうだよ。と軽く答えると両手に一つずつ持ったエリンギを、どっちがいいと思う?と隣の小十 郎に見せる。小十郎は佐助の両手の物を数秒間見比べ一言、右。と答えた。それに佐助は、だよねぇ。と従い小 十郎の持っている籠に入れた。 ふたりは幸村と別れた後、当初の目的であったスーパーに立ち寄り買い物をしている。 一見、堅気に見えないような強面でしかも身長が明らかに180後半の男と、その隣にいるので小柄に見えがち だが意外に175以上はある、よく目に付く明るい茶髪の軽そうな男のふたりが仲良くスーパーで買い物をして いるという様は些か異様な光景である。しかし残念な事にその当事者であるふたりが両方とも、それが異様であ るという事実を自覚してなければ、買い物に訪れている他の主婦の方々が若干なりでも遠巻きになっている事に すら気付いていないため、ふたりのいる野菜売り場は奇妙な空気で満ちている。 「付き合い長いって言っても竜の旦那ほどではないけどね。大体、竜の旦那があの人を俺に紹介したんだ」 「政宗様が、どうのってぇのも・・・」 「そうそう。なんだろうねぇ。どうにも好きで堪んないんだってよ」 ふたり揃うと煩くってないよ。と佐助は肩を竦めてみせる。うるさい、と言いつつも佐助はそれが嫌ではないの だろう。へらりと緩く笑いながら、俺よりも全然子供みたいなんだ。と言う。 「さっきはお前さんも随分とガキっぽかったじゃねぇか」 「え。そんな事ないって。俺様基本沈着冷静だし」 「はっ。言ってろ」 「笑うとかひどくない?」 小十郎の持った籠の中に天麩羅の具を選んでは入れてゆく。 メジャーな素材から少し変った物までをふたりで選ぶ。一応遠慮でもしているのか出来るだけ小十郎の食べたい 物を本人から聞き出してはその具を籠の中に入れてゆく佐助に小十郎はおかしな所で気を使う奴だな、と苦笑す る。先ほどから何度目かわからない、旦那は何食べたい?と聞いてきた佐助に小十郎は、お前は?と問いを問い で返した。 「あ俺?俺別に、食いたいのは大体旦那が名前上げてるからもう籠入ってるし」 「妙な所で遠慮したって気色悪いだけなんだがな」 「なにそれ。こちとら折角さ、夫を立てる良妻してんのに」 「誰が妻だ。お前が良妻なら世界中の良妻に失礼だろうが」 「わっ。あんた失礼だな。俺様ちょう良妻だよ」 「・・・その根拠は」 はぁ。と小十郎は溜息を吐きながら手にしているキスが数枚入ったパックを籠に入れた。 大体こんなおかしな嫁を娶った覚えなど更々ない。そう言いながら目の前の男を見やると佐助は相変わらずな緩 い表情をしながら小十郎の買い物篭を持った方の手に己のそれを伸ばして手の甲に触れた。 小十郎は突然の佐助の行動と手に触れた自分のそれよりも幾分も温かい感触に思わず肩を揺らした。 「旦那が死んじゃう時にこうやって枕元で手ぇ握って泣きながら『貴方と会えて良かったわ』って言ったげるよ」 「・・・・・・・・・」 「今時いないぜ。そんな良い奥さん」 まるで一瞬の出来事のように佐助はいい終わると小十郎の手の甲からそれを離す。それでもまだ手の甲には佐助 の手の温度がじわりと残ったままで、小十郎は不思議な気分の悪さを感じた。 触れた手の温度と佐助が口にした言葉の薄ら寒さの温度差があまりにもありすぎて、小十郎は鳥肌でも立ってい るのではと錯覚しそうになる。 「・・・そんなもの良妻とはよばん」 「え?そうかな。じゃあどんなのが良妻さ?」 「・・・しらん」 佐助の言うのは確かに、形の一つでは良妻と呼ぶのであろうが小十郎は決してそうは思わない。 別に小十郎自身に妻や夫婦といった形に何かしらの理想がある訳ではないし、そういったものに対しての憧れも 無いければ、そうなるに至る行程での始めの結婚に対しての願望すら皆無だ。 だが、やはり佐助の言うのは違うと思う。違うというかそんな事をされても少しも嬉しくなんか無い。それはた ぶん相手が人生の伴侶であろうが無かろうが関係なくである。 例えば己の死に際に、上司である政宗が――そんな事は無いだろうが――泣きながら「お前に会えてよかった」 なんて言われたら、きっと小十郎はその時幸福感ではなくそんな顔をさせているのが己だと思うと申し訳ないと いう気持ちでいっぱいになってしまうに違いない。 もしかしたらそれが未練となって成仏すらおちおちできないような気がする。 「お前がな・・・」 「ん」 「もしも、万が一にでも俺の前でさっき言った事をしてみろ。起き上がったお前の顔面ぶん殴ってやる」 「うっわ。ひど・・・でも、生き返るんだ」 「死ぬのにそんな事言われたら目覚めが悪ぃよ」 「死ぬんだから目は覚めんでしょう」 「それでも、だ」 「でも目が覚めるんなら、言ってみようかな・・・」 ポツリと佐助は言葉を零した。そんなちんけな言葉の一つで殴るために生き返ってくれるんならいくらでも言う しいくらでも怒らせるよ。ヘラリとまるで天麩羅の具でも考えるような顔をしながらなんでもないように佐助の 口からつらつらと言葉が出てくる。 今日の昼に政宗が佐助の事を臆病者だと言っていた。やはりその通りだと小十郎は思う。 「臆病だなお前は」 「・・・え。何処が?」 「さぁな。自分で考えろ。・・・ああそういや、やっぱりタラの芽とかの春物はなかったな」 「ん、まぁ冬の始めだしね」 「じゃあ3月くらいにまた天麩羅でもするかな」 「・・・・・・」 買い物篭の中を確認しながら、そろそろ帰るかと小十郎はレジのある方へ向い歩き出す。佐助はそれにぼうっと 呆けたように見入ってしまった。 3月にまた天麩羅をすると、佐助にはそう小十郎が言ったように聞こえた。今からまだ年を越すの2ヶ月も日を 要するというのに更に3ヶ月経った頃に“また”と小十郎は言ったのか。 (えっと。少なくともそれまでは居ていいって事なのですかね・・・) 恐らく小十郎は無意識に言ったのだろうがその間の時間の長さを男は理解しているのだろうか。佐助は何だか不 意打ちを食らったように思わず何の反応も返せなかった。佐助にしてみれば小十郎がどう思っているのかは別に して居てもいいと言ってくれるのであればそれはとても嬉しい事だ。どうしよう。俺様照れていいのかしら。と 首の後ろを掻きながら小十郎の背中を見やる。 「おい、何してんだ。捨ててくぞ」 「・・・あ、ごめんよ。いやぁ俺様不意打ちでちょっと照れちゃった」 「はぁ?」 「ふふふ。きっと旦那無自覚だから、これは秘密。 教えねぇよ。今アンタがどんだけ恥ずかしい事言ったかなんてね!」 はぁ?と佐助のいう事にもう一度呆れたように言う小十郎は全く意味がわからないと口で言われ、胸の内でも思 っているのだろうそれが佐助にはひしひしと伝わってくる。 佐助はやだねぇこれだからタラシは。とクフフと顔をいつも以上に緩ませ笑った。きっと今佐助の頭からは花が 散って見えるだろう。それほど佐助はご機嫌で仕方なかった。 そんないきなりの佐助の機嫌の上昇振りが小十郎は意味が解らなかったが、先ほどのような薄ら寒い事をまた言 われるよりはいいと花を散らす佐助の頭を小十郎はひとつ軽く叩いた。 買い物を終え漸く小十郎の自宅にたどり着いたふたりは早速準備に取り掛かった。 とは言っても小十郎は先に着替えに行ってしまいその間に佐助がすっかり慣れきってしまったキッチンで買って きたものを整理している。元々佐助が家を出る前に既に天麩羅粉などの下準備をしていたので後は本当に材料を 切って揚げるだけだ。 佐助がさくさくと手際よく準備をしていると家着に着替えてきた小十郎がリビングに入ってきた。 「海老は?」 「昼のうちにきちんと背腸とか取って真っ直ぐしといたよ」 「まめなやつだな」 「暇なんでね。だからたぶんね、さっき買ってきた野菜類とかを洗って切るくらいであと揚げるだけ」 そう言いながらも既に野菜を洗い始めている佐助に、了解。と返事をしながら具を佐助に任せ小十郎は既に出汁 の入った鍋に火をかけた。天汁を作る気らしい。 佐助は汁くらいなら買ってもいいのではと朝、小十郎が出勤する前に尋ねたのだが、どうせならと小十郎が言っ たのだ。佐助はまめなのはどっちだよ。と鍋に調理酒を入れている小十郎を横目で見ながら苦笑した。 「なんか、悪いね。揚げさせちゃって」 何だかんだと小1時間ほどかけて作った天麩羅を食べながら佐助は口の中のカボチャを飲み込み小十郎に謝った。 仕事までしてきたのに一番大変なのさせちゃった。と。それを小十郎はいとも簡単に、別に構わんさ。と答える。 小十郎的には普段独りの時に態々時間の掛かるような天麩羅など自分の家で作ろうなどとは思わない。それに天 麩羅だけでなく揚げ物だって滅多にしない。 だからこそ珍しくそういう機会に巡り会ったのならば自分でしたいと、小十郎はそう思っただけだった。だから 本当に少しもどうも思ってはいない。 「っていうか揚げるのも上手いよね」 「そうかね」 「なんだろうね。弱点とかないの?」 「・・・なんでそれで弱点になるんだ」 「いや、勝てねぇなと思ってさ」 「別に勝ち負けの話は少しもしてないだろうが」 珍しく会話が弾んでいる気がすると佐助はモクモクと口を動かしながら向いに居る小十郎の顔をちらりと窺った。 いつもならあんまり食事中には会話をしたがらないというのに。 それでも佐助の言葉に小十郎は返事を返しただけなため佐助が口を開かなくなると自然を会話は途切れてしまう。 佐助は何だか逆にいつもよりもそわそわしてしまってチラリと何度も小十郎の顔を盗み見てしまう。 「なんだ?」 暫くして余程佐助の動きが奇妙だったのか小十郎は自分の顔に何か付いているかと口を開いた。 「えっと、目と鼻と口・・・とか」 「はぁ?寝ぼけてんのか?」 「いや、何かさ機嫌いいなぁって思って」 佐助の言葉に呆れきったような顔をした小十郎に佐助は慌てて本当の事を口にする。すると小十郎は首を少し傾 げながらそうか?と不思議そうな顔をする。自覚が無いのか佐助の気のせいなのか佐助にもよくわからず、わか んないけど、と曖昧な言葉で返すと小十郎はふと何かを思いついたように壁に掛かってる時計を目にした。 「そういや、こんな時間に家で飯食ってるのが不思議な感じだな」 「あぁそうだね。いつも旦那遅いもんね」 時計は夜の9時前を指している。何時も最低でも7時過ぎまでは政宗と会社に残っている小十郎なのでどんなに 早くても9時前に食事など取れない。 それこそ最近では佐助が居候をしているため家に帰ると直ぐに夕食が食べれるようにはなっているのだがそれで も9時を切ることは滅多にない。 おかしな感じだな。と小十郎は微かに笑う。それに佐助はでもなんかこんなの楽しいね。と小十郎よりも盛大に にっこりと笑って見せた。 結構な量を天麩羅にしたはずなのにすっかりふたりで完食し、自分もすると言う小十郎を何とか説得し佐助はカ チャリと食器のぶつかる音を立てながら片付けする。 そして佐助に断られた小十郎は仕方なさげに居間で適当に雑誌を開いた。なんだろう、暇でもしているのかと佐 助は小十郎に、何か仕事を持って帰ってはいないのかと尋ねると今日は持って帰るほどの仕事は無かったのだと いう。もしかして本当に暇を持て余してしまっているのだろうか。佐助なら暇になった瞬間にその暇を満喫しよ うとするがきっと小十郎の事である、何かしていないと落ち着かないのでは無いだろうか。 「旦那ー。お風呂とかとってくれば?」 「そうする」 本当なら洗い物を済ませてから風呂の湯を張りに行くつもりだったのだが居間から聞こえてくる小十郎が雑誌の ページを捲る音があまりにも早く聞こえてくるので佐助思わず用事を提案した。 今の時間ならばテレビでも点ければ何か番組をやっているような気はするが佐助自身、小十郎が何か、例えばバ ラエティー番組などや特に、お笑い番組を見ている様が想像もつかないのであまり言い出し難い気もする。 「どうしよ。実はコントとか見て声出して笑う人だったら」 それはそれで見ものかもしれない。 テレビではなく片倉小十郎が。いやでも怖くてそんなとこ見たくないかもしれない。 「何が笑うって?」 「!?わっ!!」 不意に背後から聞こえた声と妙な想像が相まって佐助は思わず驚きで声を上げた。 するとその佐助の驚き方に吃驚したのか、小十郎は少し目を見開きながらこの位で驚くなよ。明るい色をした髪 をパシリと叩く。 「はぁーびっくりした。なぁに?」 「何が笑うって?」 「いや何でもないよ。独り言」 おかしな独り言だなと小十郎は首を傾げ、その後にひとつ、暇だ。と言う。 暇だ。する事がない。何かないか? 「暇って・・・旦那、自分ちでしょうに」 「お前が来る前は掃除とか適当にしてたんだがな」 「ご趣味は?」 「・・・・・・家庭菜園か・・・」 「それは良いご趣味で・・・家の中でできないじゃん」 「だから暇って言ってんだろうが」 「読みかけの本とか、やりかけの事とか、何かないの?」 佐助は思わず先ほどの想像があったためテレビ見たらという提案をあえて除外した。小十郎もそこまで言われ顎 に手を添え少し考え暫くして、無いな。と言う。 そんなに暇なの?と聞くとすぐさま頷いてくる小十郎に佐助は仕方なく食器拭く?と布巾を指さした。 「なんか人間多趣味の方がいいよ。ボケ防止にもなるし」 「・・・ボケはせんが、まぁそうだな」 佐助が洗い伏せた食器を小十郎は拭きながら、どうしたもんかね。と己でも呆れてしまう。 自宅で暇を持て余すなど普通おかしいだろう。いつもなら何か仕事を持ち帰ったり色々したり、と何かとする事 があり時間の遅いためある程度の時間さえ過ぎれば後は風呂に入り寝るだけなのだがその風呂に入るまでの時間 をどうした事か小十郎は、持て余してしまった。 夕飯の片付けとて佐助に取られてしまい、風呂の湯を張るのだって湯船の蓋をしてボタンを押すだけだ。ぼぅっ とするのは好きではない。と皿に付いた水滴を綺麗に拭き取りながら小十郎はしかめ面をした。 するとその様を横目で見ていたのか佐助の含み笑いが聞こえる。 「何だ?」 「いや。暇そうだなぁって思って」 「こんなにする事が無いのも珍しい」 「じゃぁさ。俺様とイチャイチャしませんか?」 「死ね」 えへへ。イチャイチャ大歓迎なんですが。とヘラリを笑う佐助に小十郎は皿を拭き終え濡れた布巾を笑顔の佐助 の顔面に叩きつける。 「ひっどぉい。せっかく暇退治に付き合おうと思ったのに」 「独りでしてろ」 「いやだなぁ。ひとりでしたらイチャイチャじゃないじゃん」 佐助を置いてリビングに戻った片倉は風呂がとれるまでの残りの時間をどう過ごすか考える。本当はこんな事考 える必要などないのだろうが何だかこんなに暇なのも珍しいと、小十郎はいかに自分がワーカーホリックなのか 改めて自覚した。 「そんなに暇なら俺様とおしゃべりしましょうぜ」 とんでもなく無駄な事を考えていた小十郎の思考は恐らく佐助に駄々漏れだったのであろう。いつもなら小十郎 が佐助にするような呆れた顔をしながら佐助は湯気の立ち込めるカップをふたつ持って小十郎の後ろにやってく る。カップをひとつ小十郎に渡し、コーヒーだよ。言う佐助はそのまま小十郎の座る向いのソファに腰を下ろす。 砂糖は少なめで良かったかな。とカップに口を付けている小十郎に尋ねると、ああ。すまんな。と答えが返って くる。 「お仕事暇なのかい?」 「いや、たまたまだ」 「そう、明日も暇なの?」 「どうだかな。だが今日は政宗様に気を使っていただいた分働かないとな」 「そっか」 「ああ、そういえば」 会話を始めてみると以外に途切れないもので他愛の無い会話をしているうちにふと小十郎は、昼に政宗に言われ た伝言の事を思い出した。政宗と佐助には悪いがすっかり忘れていた。 何かを思い出したような小十郎に佐助は少しだけ不思議そうにしながらどうしたの。と言うと伝言があったのを 忘れていた。と小十郎は正直に言い内容を口にする。 「体力がなくなりかけたら一度戻って来い。だそうだ」 「あー。そんなに経つっけここに来て」 「あれはどういう意味だ」 佐助が何か別のものから体力を摂取しているのは知っている。そのために佐助の食事は食べる量も多いが栄養も きちんと摂れるようにしている。しかし政宗の言い方からすればそれでは体力摂取は規定量達していないという 事になるのだろうか。 だから己に会う前の佐助は半年間眠っていたという事なのだろうか。小十郎はすっかり佐助に馴染みはしたもの の佐助というおかしな存在の把握は少ししかできていない。 「んー。数ヶ月に一回とか定期的に竜の旦那から体力を分けてもらってんの」 「今の状態じゃ足りないのか」 「まぁね。大分省エネしてんだけどね。なにぶん燃費悪くってさ」 「そうか。だが、どうやって体力をもらってんだ」 どうやってるんだ。まさか映画や漫画の世界じゃあるまいし魔方陣のような物を作ったり怪しげな儀式でもする のかと小十郎はふと疑問に思った事をそのまま口に乗せた。しかもその儀式を政宗と佐助がしているというのな らばそれはれは不気味に違いない。と小十郎は魔方陣のような 物の周りで怪しげな動きをする政宗を思い浮かべて背筋にぞわりと悪寒が走るのを感じる。 そんなおかしな事をつらつら考えていると、ギシリと座っているソファの軋む音がし小十郎は思わず下げていた 視線を上へ移す。 「・・・なにやってんだ」 ついさっきまで向いのソファに座っていた筈の佐助がいかにも面白いといった顔つきをしながら片膝を小十郎の 直ぐ横に付き小十郎に影を作るようにして身を乗り出している。 何の真似だと、佐助に見下ろされている事が妙に腹立たしく思えた小十郎は前のめりにしていた体を背もたれに きちんと体をつける形で背筋を伸ばし佐助を睨みつける。その小十郎の顔に佐助はやはり楽しそうな顔をしなが ら、おお怖。と言い背もたれに両手を付いて小十郎が背を反らしたのと同じだけ佐助は上体を倒した。 気になるって言うから教えたげようかなぁって思って。佐助は小十郎の体を両腕で囲うようにした上体のままえ へへ。と首を傾げてみせる。 「邪魔だ。のけ」 「え。だって知りたいんでしょ?俺の体力補給の方法」 「だからってこんなに近づかにゃならんのか」 「んふふ」 小十郎は佐助が家に住むようになった一番初めの夜を思い出した。 日頃のネジの抜けたような表情から一変して醸し出す雰囲気に至るまでの印象をがらりと変えて見せたあの夜と まったく同じ表情を今の佐助はしている。 じっとこちらを見据える佐助の目は色素が薄いだけでなく赤みを含んでいるように見え、この目をこんな間近で みると佐助はやはりどこか普通の人間とは違うのだな。と小十郎は他人事のように思う。 「俺様ね、体力なくなると、ね」 するりと背もたれに付いていた手の片方を佐助は小十郎の肩の上まで動かした。けれどその手を肩では止めず、 するするとそのまま小十郎の頬にある傷の上に持っていく。 指の甲でその傷を撫でるようになぞる。その微妙な感触に思わず小十郎は頬に意識を向けるとその隙に佐助は今 でも充分に近い顔を更に寄せてながら、まるで小十郎の目に写りこんだ己の姿を見るように真っ直ぐ小十郎を見 詰める。 「―――こうやって」 これまで少しも崩さずに笑みを称えていた口元を少しだけ歪ませ、まるで口付けでもするかのような形を取る。 その瞬間小十郎は真っ直ぐに覗き込んでくるような佐助の目を己も真っ直ぐに見返し、というよりは半ば睨みつ けるようにしながら赤い目を見ていた。 小十郎は少しも動かない。それが動けないのか、己の意思で動かないのかは定かではないが小十郎はお互いの鼻 先が触れそうな所まで接近しているというのに微動だにしない。 「口移しで体力を貰うのさ」 佐助はそう極々小さな、小十郎にしか届かないような声で楽しそうに、そして少しだけ寂しそうに囁いた。 「・・・なぁんてねっ」 ふぅっと触れてしまいそうなほどの距離にあった小十郎の唇に佐助は息を吹きかけた。 「・・・・・・」 「あっは。驚いた?」 今しがまるで小十郎に覆い被さるようにしていた佐助は笑いながら体を離しそのまま小十郎の膝の上に腰を下ろ した。 ニコニコとしてやったりといった顔をしている佐助は、ねぇ驚いた?と同じ事をもう一度言う。ちょっとからか ってみたくなったんだ。とケラケラと笑う佐助は固まってしまったかのような小十郎の顔を見てもう一度声を立 てて笑った。小十郎の眉間にいつも停滞している眉間の皺が綺麗に伸びきっているではないか。 普段眉間の皺を深くしたり数を増やす事はあっても眉間の皺を伸ばす事は無かった。佐助は今回も例に漏れず眉 間の皺を深く多くするのだと予想していた。 それがいざしてみるとどうだろうか。小十郎の顔からは険しい表情が消えており顔に出している感情は、唖然。 のそれだけであった。 少しばかり悪ふざけが過ぎたかと、佐助はちらりと思ったがたまにするこういった挑発めいた事をした後は必ず 殴られ、そしてむしろそれだけで終わってしまうので今回も、もう少しすると拳が飛んでくる物だと思い佐助は 小十郎にばれない程度に身構えた。 唖然の表情一色の小十郎に段々と怒りの色が見え始めしかもまるで怒りのバローメーターのように眉間に皺があ っという間に増えてゆく。 しかし小十郎自身にはそれほど己が怒っているという自覚は無かった。怒りよりも何か別のものが腹の奥の方か ら這い上がってくるような感覚がしてそれが無性に気分の悪い物であったため小十郎は無意識に眉間に皺をよせ てしまう。このなんとも不快な感覚を持て余した小十郎は未だに己の膝の上を陣取りヘラリと笑いながらコチラ の様子を窺っている佐助をチラリと睨んだ。 この気分の悪さは仕事帰りに寄ったスーパーで感じたそれによく似ているように小十郎はふと思い出した。 あの佐助の口から出る言葉と佐助の掌の温度差があまりに極端で感じた不快にそっくりだ。 先ほどまで圧し掛かるような体勢をしていた佐助から感じた体温に頬に触れていた手と指の温さ。そして不意に 触れてきた佐助の吐息。全てが暖かく温かったように感じられたのに最後の最後に佐助の口にした言葉の温度は 冷え切った物のように小十郎は感じた。 その温度差があまりにも極端でまるで冷や汗でもかいているのではないかと思うほどある。 その不快が腹からじわじわとせり上がってくる。その感覚に小十郎は己の顔が険しくなるのが漸く解った。 気分の悪さを抱えたまま、またチラリと佐助を見やるとやはりへらりと少し眉の歪ませ情けなく笑っている顔が 眼に入る。するとより一層不快が増したように感じられて小十郎は無意識に佐助の腕を掴んだ。 「え・・・」 それはあまりに唐突な行動で急に腕を引かれた佐助はまったく状況が理解できない。しかし上手く理解できてい ないのは腕を引いた小十郎も同じで己が何をしようとしているのかよく解らないでいた。 急に腕を引かれそのまま小十郎の方に上半身を寄せる形になった佐助の顎に空いている方の手を添える。 そこまできて漸く状況を把握したのは佐助の方が早かった。佐助の顔が段々と近づくにつれ佐助の元から大きめ な目が見開いてゆく。見開かれた事でより多くの光を取り込んだ瞳はいつも以上に瞳を赤く見せ小十郎はやはり 佐助の目は自分たちと全く違うのだな。とぼんやりと考えた。 そして、近づきすぎて佐助の顔も赤い目も見えなくなったところで小十郎の視界は暗転した。 瞼を閉じた時のもんわりとした暗転ではなくそれはまるでテレビの電源を切るような唐突な暗転だあった。 ブツリ。と小十郎の脳内で電源が切れるようなあの独特な音が聞こえたような気がする。 しかしその音が本物かどうかを確かめる前に小十郎は視界と一緒に思考も失った。 つづく そろそろ終わらせたいんですけどね…小十郎がうごかねぇ 2008.05.02 ブラウザバックでお戻り下さい。