カタカタと静かな室内にタイピングの音がまるでリズムに乗せているように軽やかに響いている。それ以外にあ まり物音は聞こえず街の雑踏の中の騒音も高層ビルの最上階ともなればそこまでは届いてこない。 政宗はデスクの端に置いてある卓上時計に目をやる。今日は珍しく主だった予定も無く、来客の予定もこちら側 の訪問の予定も無い。暇だな、と政宗は雑務をこなしながら頭の端で暇を持て余していた。 こんな日に佐助が遊びにでもくればいいのに。と会社を纏める社長としてどうかとも思うような事をうっかり考 えてしまう。 するとコン。と二回頭の中でだけ現実逃避のような事を考えていた政宗は急に聞こえたノックに よって思考を切り替えた。 この時間帯に社長室のドアを叩くのは小十郎しかいない。政宗は1日何度も顔を合わせる部下の姿を思い浮かべた。 「政宗様。小十郎です」 「ああ。入れ」 「失礼します」 矢張り、ドアの向こうにいたのは小十郎であった。これは丁度いい。政宗は思った。 仕事の話にしても無駄話にしても小十郎と話すのは楽しい。それに政宗は小十郎に尋ねたい事もあったのだ。 「どうした?」 「確認して頂きたい書類の方がありまして」 「そうか。それにしても今日は暇だな」 「暇なような気がしているのは政宗様だけです」 仕事なんて探せばいくらでもあります。小十郎は社長の言う事を瞬時に切り捨てると書類の綴じられたファイル を5つほど政宗のデスクに置いた。 そのファイルの見るや否や政宗少し顔を顰めてみせる。政宗は基本的に仕事は好きなのだがデスクワークはあま り好きではないのだ。座りっぱなしというのがどうも嫌らしい。 「赤いファイルの書類は至急にお願いします」 「・・・ああ」 はぁ。暇で退屈だと思っていた政宗はめんどくさい書類作業にガクリと肩を落した。 暇もつまらないがこういった面倒な言い方の書類に黙々と目を通しサインをする書類作業も中々につまらない。 「営業とかしてぇな。久しぶりに」 「何の冗談を言っているのやら」 独り言のような呟きを小十郎が簡単に冗談で片付けてしまう。小十郎は政宗に引けを取らないような仕事振りを してみせる。しかしこの男少しばかり融通が聞かない。政宗がたまに思いつきのような発言をしてもそれに一度 たりとてのってきた事が無い。 やれやれ。政宗はこのままでは尻が平らになっちまう。と言うと小十郎を恨みがましい目で見た。 「そんな頭固いと禿げちまうぜ」 「ご心配無用です。父も祖父も禿げておりませんので。さぁ早く仕事に取り掛かってくださいませ」 遺伝じゃなくても剥げる時は禿げるのだ。お前も禿げちまえ。政宗は小十郎に聞こえぬように小声で呟くと至急 と言われた赤いファイルを手にとった。 書類の中身に目を通しながら、政宗は内容の説明を始める小十郎の顔を窺った。 「今日、早く帰りたいのか?」 「何故そう思われます」 「ん。そんな顔に見えた」 どんなに至急だと言っても政宗が一度めんどくさがってしまえば期限ギリギリにしか書類に目は通さない。それ がわかっている小十郎が態々、無駄に長く綴られた説明を端的に説明し仕事を終わらせようとしてる。 その政宗を急かすような態度に、政宗は小十郎自身が忙しいのかと思ったがそれならこの様な時間のかかる作業 はする筈が無い。 ならば、ある程度自分の仕事にきりを付けた上でこうやって政宗の所に来ているのだろう。それほど急いで仕事 をする必要があるとすれば退勤後に何か予定でもあるのだろうか。 「なんだ。佐助と約束か」 「・・・別にそういうわけではありませんが」 「でも早く帰りてぇんだろ?」 「いや・・・ええまぁ。申し訳ありません私的な用事で政宗様を急かしてしまい」 「なら始めから言えよ。『今日は定時に上がりたいから仕事しろ』ってよ」 「はぁ。言える訳が無いでしょう。それに言う気もないです」 政宗はかれこれ半月ほど前に己の家にいた猿飛佐助を小十郎の家に寄越してきた。元は佐助本人からの起っての申 し出で、しかし本来一番都合を確認せねばならない小十郎の意思を多少無視したように話を進めてしまったため流 石に少し心配をしていたのだ。 半月経っても佐助は戻ってくる様子もなければ小十郎も特には何も言わない。何か無くとも何か言えばいいものを と政宗はそう思い今日にでも小十郎に尋ねてみようかと考えていたのだ。 「それにしても上手くいってるのか。あいつと」 「うまく。・・・まぁそれなりに」 「なんだ何か問題でもあるのか」 「問題とまではないのですが・・・ただ、あの男は中々難しいので」 難しい。そう言い小十郎は珍しく困ったような表情を浮かべた。政宗はその顔を見て、おや、と思う。 難しいあの男が。恐ろしく長い間佐助といる政宗は彼のどこが難しいのかあまりピンとこなかった。 どこが、と問うと小十郎は曖昧に首を傾げてみせ上手く説明できないのだという。 至急と言われたファイルの書類に政宗は名前を記入し印鑑を押してデスクに戻す。そして座っている椅子を回し て政宗の横に立っている小十郎に向き合った。 「あれが何か言ったか」 「・・・言ったというかなんと言いますか」 言い表し難いのです。と小十郎はしかめっ面をしながら話して良いものかと少し悩んだ挙句に口を開いた。 佐助のことを相談できるとすれば以前からの知り合いの政宗しかいないのだ。 「現代社会って本当にすげぇよなー」 佐助は頭をタオルで拭きながらリビングルームに入ってくる。先ほどまで風呂に入っていたのだ。パタンと扉の 閉まる音と共にひとりで陽気に喋る佐助を小十郎はちらりと横目で見た。 佐助はスウェットの上下をパジャマ代わりにしているようで、数日前に朝佐助が着ていたスウェットを小十郎が 仕事から帰った時にまだ着ているのを見たときは少し脱力感を覚えた。 本人に言わせるとこの格好が楽なのだという。どうせ外に出るわけでもないし外出する時は着替えるのだから家 にいるときにずっとパジャマでも良いではないか。というのだ。小十郎からしたらもう少しそういった細かいと ころにケジメのような物を持ってもらいたいような気がするがそこまで小十郎も佐助に干渉する謂れが無いので 何も言っていない。 「ジェットバスって人類の勝ち取った栄光だと思うよ」 思わず拳を握り力を入れる佐助に、誰から勝ち取ったのかというツッコミを入れたくなった小十郎は反応をせず にソファで雑誌に目を通していた。 「今度泡風呂したいんだけど」 「却下だ。お前の事だ、いっとき上がってこないだろう。それに光熱費ももったいねぇ」 「ケチ。そこそこ貰ってるくせに旦那から」 「お前がいなきゃ別に光熱費くらいどうこう言わねぇよ。この穀潰しが」 「否定できねぇ!穀潰し少しも否定できねぇ!」 ぎゃはは。とソファに転がるように座りながら佐助は笑った。穀潰しを自覚している穀潰しにそう罵っても少し の効力も無い。小十郎は読んでいた雑誌を横に座った佐助に投げつけた。 「いてぇ!」 雑誌、と言いながらもその雑誌は佐助が何処からか持って帰ったきたフリーの通販カタログだったため無駄な厚 さに物を言わせ佐助に絶大なダメージを与えた。 投げつけた拍子にぐしゃぐしゃになった雑誌が床へ落ちる。 佐助は雑誌の背表紙が当った腕を擦って痛い痛いと呻いている。 「大体こんな物持ってかえってきてどうする気だ。文字通りの無一文のくせに」 「・・・読んで買った気になって楽しむんだよ。買ってなんていわねぇよ」 「言ったら、穀潰しじゃなく、ヒモだ」 「いいな!それって!いらいいらいいたいたいた!!」 ヒモと言う言葉に一番に乗り気になってはいけない人間が真っ先に挙手付きの立候補をしたことに小十郎は頭で 何かを考えるよりも早く体がが反応をしめし佐助の頬を思い切り抓り上げた。 伸びてしまえ、寧ろ千切れてしまえを言わんばかりの勢いで力を入れると佐助が抓られて上手く喋れない口で おめんなさい。と謝る。 「おめんなさい。もういひまへん。へぇはなひれ」 痛さのあまりに涙まで滲ませた佐助の顔をじろりと睨んでいた小十郎は呆れたように息を吐くと頬から指を退けた。 小十郎の指が外れたそこは可哀相なほど真赤になっていて佐助は自分の頬に手をあてそっと撫でる。 「いてぇよぉ」 「自業自得だ。大体てめぇの今着てるスウェットだってこの前、俺に買わせたやつじゃねぇか」 「俺様はいらないって言った」 「てめぇが勝手に人の服着るからだろうが」 「いいじゃんそのくらい。ケチ。それに、俺様に食い物以外は買い与えちゃいけないよ」 捨てれなくなるじゃない。 佐助は口の先を尖らせながらぐずねる子供のような顔をして呟く。 「あんたが居なくなった時にこのスウェットの上下見てあんたの事思い出して俺様泣いちゃうんだぜ」 だからこんな物欲しくなんて無かった。 佐助はソファの上で器用に体操座りをして膝の間に頭を埋めてしまう。俺様こう見えて涙もろいんだぜ。と顔を 埋めたままくぐもった声で続ける。 それを思わず呆気にとられながら目の当たりにした小十郎は、馬鹿じゃねえのか。と思った。そしたらそれは心 の中ではなく実際に声に出していた。 「あんたには必ず残される者の身がわからないよ」 「まぁ。わかりたくねぇな。そんなもの」 隣の丸まったまま動かなくなってしまった佐助を横目で見やりながら、出会う人の全てを見送ってきて佐助の気 持ちを考えた。 それは、きっと小十郎や普通の寿命の持ち主ならば決して理解できる事ではないだろう。 よく、妻より先に死にたい。と言う夫。をテレビやら本やらで見かける。 最愛の者を先立たれて辛い想いをするよりも、最愛の者に看取られながら逝く方が幾分も幸福だろう。特に夫の 場合の多くは妻を亡くしてからの衰えが早いという。 この男も何人も大事な者を看取ってきたのだろうか。約数百年もの間に佐助は何人亡くしてきたのだろう。 「・・・・・・おれね」 ぼんやりと大容量の物を手探りに思考していると、先ほどの体勢のまま顔だけ微妙に上げ何処かをぼんやりと眺 めながら佐助が口を開いた。 「気が多いんだよ。直ぐに良いな。って思ってそしたら大概好きになってる」 そうしたらもう駄目なんだ。好きになっちゃうと一緒に居たくなるし好きになってももらいたくなる。大体人間 じゃなないんだから人間関係とかも極力浅くすればいいのも理解してるんだよ。でもね。 「惚れやすいのか」 「大好きな子が居なくなって毎回凄く落ち込むくせにまた懲りずに同じことになるんだ」 佐助の容姿は秀でて美形というわけではないが、顔の造形が良いか悪いかと聞かれれば良い部類に入るだろう。 おまけに話し上手で、気も利き、マメでそれに面倒見がよい。佐助がその気になれば気のある者を振向かせるのも 容易いだろう。 「呆れたろ?」 「・・・別に。ただ」 大変だろうな。と小十郎は言う。 小十郎自身、別段惚れやすいとか気が多いなどと言ったことが殆ど無い。何かを選ぶ時には選りすぐりの物を選 ぼうとするが、人間関係でも浅く広くとはせず深く狭くといった感じになっている。 それに何か特別な物を見つけてしまうとその特別が変わることなど皆無にすら等しいのだ。 だからこそ、小十郎には佐助の気持ちがよく解らなかった。しかし、理解し難いからこそ大変なのだろうという 事が手を取るように理解できる。小十郎の考えとて決して簡単ではないだろうが、佐助の途方も無い寿命とこの 気の多い所は絶対に比例する物では無い筈だ。時間があればあれほど人と出会い、そして別れ傷付きまた出会う。 そのまるで無限回廊でもあるかのような連鎖を思うと少しは考えを改めればいいものを。と思わないでもない。 が、人間そう簡単に自分の思想思考はかえることなどできないだろう。 「難儀な奴だな。お前は」 「まぁね。でもさ、一緒いるときは幸せなんだ」 うっとりと佐助は本当に幸せそうに笑った。しかしそれが小十郎には切ない表情に見えてしまい、佐助に対して 同情のような感覚を持ちそうになっている己に気付いた。 でもその感情は幸せだと言う佐助にはとても失礼だと小十郎は思った。 「本当に旦那って見かけによらずに優しいね」 「何だそりゃ」 「普通さ、呆れたり馬鹿にしたりとかしそうな物なのに。しかも同情もしない。 ・・・心読めるってわかってて旦那はちっとも自分の思考を隠さない。こんな人滅多にいないよ」 心が読めると佐助に言われ、小十郎は、はた。と思い返した。そう言えばそうだった。すっかりその事実を失念 していた小十郎はこれまでの考えが全て佐助に駄々漏れだったのだと思い至ると流石にばつの悪さを感じる。 目の前の佐助も小十郎が承知の上での思考だとばかり思っていたのか、今しがた小十郎が胸の内で、しまった! と思った気持ちが佐助に伝わり、佐助の表情がみるみるうちに驚きへと変化した。 「信じられねぇ・・・俺様すっごい感動したってぇのに!」 「・・そりゃ悪い事をしたな。しかしすっかり忘れていた。どうでもいい事だったからな」 「どうでもいいって、そりゃないでしょうよ」 「別にお前さんに心読まれてやましい事など無いからな」 「今しがた『しまった』って思ったくせに」 「しらん」 そう言って立ち上がる小十郎を見上げ佐助はケラケラを笑う。その様子を横目で確認した小十郎はふん、と鼻を 鳴らす。佐助の心を読める能力を本当に綺麗さっぱり忘れていた小十郎は良い反論の内容が思い浮かばず仕方な しに佐助の足を軽く蹴った。 「あーもう。ほんと大好きだわ。あんたのこと」 「なんだ。この前からの冗談か。それともあまり惚れやすいと男女の見境もなくなるのか」 「嫌味かよそれ」 「勿論だ」 「男女はあんまり関係ないけど・・・ 何も好き好んでムサ苦しい男好きなったりするかよ。俺様やーらかい女の子が好きだもの」 そうか。小十郎は溜息を吐いた。佐助の言ってることの何処までが本当かわからないが、きっとどれも結構な割 合で真実を述べているのだろうと小十郎は思う。 そして先ほどまでの佐助の話が本当に彼自身の胸のうちのことならば、佐助は小十郎が死んでしまったら泣いて しまうのだろうか。そう思うと何だか胃が凭れるではないがそんなモヤモヤし感覚が腹からせり上がってきた。 「猿飛」 「なぁに」 「・・・・・俺は少なくとももう50年ほどは死ぬつもりはない。 もし泣くつもりなら俺が死にかけてからでも遅くないし、そんなスウェットなど形見にしてくれるな」 そう言うや否やキッチンへと消えていってしまった小十郎を佐助は思わずぼんやりと見送った。 一瞬、小十郎が何を言っているのか解らなかったがどうやら先ほど佐助が言った事を気にしていたようで小十郎 なりの励ましだったのだろう。 佐助が珍しく己の話をしている間も小十郎はまるで親切丁寧とでも言いたいくらいに小十郎自身の思考をこちら に開放し続けてくれていたため佐助は彼がどう思ったかなの全部知ってしまった。 普通ならばみなもう少し意識が漏れぬように遮断しようと無意識に心がけてしまうようなのだが、小十郎にはそ れが全く見受けられなかった。 だからいつでも佐助に率直な小十郎は新鮮でとても嬉しかったのだ。 政宗が好んで小十郎を傍に置く理由が佐助は頷ける。 「おっとこまえぇ」 佐助は思わず頬を緩めだらしの無い顔になる。いかんいかんと思いつつも、何だか信用されている錯覚に陥って しまって優越感さえ感じてしまいそうだ。 そしてキッチンへと半ば逃げるようにしてきた小十郎はまた大きく息を吐いた。頭を使ったり物事を深く考える のは嫌いではないが、答えの無い事や雲を掴むような事を黙々と考えるのは非常に疲れる。 小十郎はシンクに凭れ平気な顔で佐助の話を聞くように勤めていた物のどうも明らかに積載量がオーバーしてい るような気がした。 おかげで本人も思っても見なかったことを口にしてしまった。 はぁ、とまた息を吐く。 「・・・らしくねぇな。まったく」 いっそのこと己の寿命が佐助や政宗並にあればと、どだい無理で自分の意思として不可解な事を考えてしまいそ うな自分に小十郎は首の後ろを掻いた。 つづく 小十郎頑張れ。佐助頑張れ。そしてhalo頑張れ。 2008.01.27 2008.03.14少し修正